第104章 光応答
隔離ラボの照明が落とされ、代わりにレーザー照射装置の冷たい光が点灯した。チャルニオディスクス片とディッキンソニア片は、依然としてマイクロフルイディクス培養槽に封じ込められている。外部からは一切触れられない。今回の目的はただ一つ——光刺激による応答の有無を確認すること。
藤堂科学主任は操作パネルを見据えた。
「波長はまず405ナノメートル。紫外域寄りの青色光から開始する」
レーザーが照射され、透明なチャンバーの中でチャルニオディスクスの繊維網が一瞬きらめいた。観察用カメラには、枝分かれした節点がわずかに蛍光を放つ様子が映し出される。
「蛍光強度、バックグラウンド比で1.3倍。明確に応答あり」
オペレーターが声を上げる。
星野医務官は険しい表情で画面を見つめた。
「既知の有機残基が光を吸収しただけかもしれない。クロロフィル様分子か、アロマティックなペプチド残基だろう」
だが次の瞬間、モニタに奇妙な現象が現れた。繊維の末端から末端へと、蛍光が波のように伝わっていったのだ。枝先の節点が順に点滅し、その周期は約3.1秒で一定していた。
「……周期性を持った伝播だ」藤堂が囁いた。
「これは単なる蛍光じゃない。信号が伝わっている」
さらに実験は続く。波長を532ナノメートル(緑色光)に切り替えると、ディッキンソニア片の体節が淡く輝いた。体表のリブ状構造が一斉に点滅し、全体で呼吸のような律動を見せた。
「周期4.0秒。チャルニオディスクスのリズムと近似」野間通信士が読み上げる。
葛城副艦長は黙ってデータを記録しながらも、その表情は険しい。
「異なる種が同じ周期で応答しているのか……?」
AI〈Ω〉が解析結果を読み上げた。
《解析:チャルニオディスクス応答周期 3.1±0.2秒、ディッキンソニア応答周期 4.0±0.3秒。統計的有意相関あり。確率p < 0.05》
「つまり“同期”だな」藤堂が声を上げる。
星野は冷ややかに言い返した。
「同期しているのは光刺激と化学発光の反応時間だ。生物的制御を示す証拠にはならない」
しかし誰もが、映像に目を奪われていた。
次に赤色光(650ナノメートル)が照射された。一般的に地球の光合成色素は赤に強く反応する。だが、ここで起きたのは予想外の現象だった。チャルニオディスクスとディッキンソニアの両方が、同時に強烈な蛍光を発したのだ。
「強度が急上昇……バックグラウンド比で5倍以上!」オペレーターの声が震える。
しかも、発光は一定間隔で点滅するパルスに変わった。間隔は正確に2.7秒。チャルニオディスクスの節点とディッキンソニアの体節がまるで打楽器のように同じリズムで光った。
「これは偶然ではない。複数の種が同調している」藤堂が興奮を隠せずに言った。
星野は首を振った。
「……まだ断定はできない。だが、このリズムは化学反応の残響としてはあまりに安定しすぎている」
AI〈Ω〉が補足する。
《観測された周期2.7秒は、前回の酸素発生リズム(40秒)の高調波に近似。内部で非線形振動系が形成されている可能性》
葛城副艦長が静かに言った。
「非線形振動……まるで“鼓動”だな」
実験は終了フェーズに入った。レーザーが停止すると、蛍光もゆっくりと消えていった。しかし消滅までの時間は異常に長かった。まるで、光を「蓄え」、ゆっくりと放出しているかのようだった。
野間は呟いた。
「……これは記録映像じゃ伝わらない。実際に見ていると、“呼吸している”ようにしか見えない」
星野はしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「生命とは何か、という問いに、我々はまた一歩近づいた。だが同時に、“何を解き放とうとしているか”も分からなくなった」
AI〈Ω〉が冷徹に告げた。
《リスク再評価:感染拡散確率は変化なし。ただし観測された同期的発光現象は、エネルギー蓄積・伝播機構の存在を示唆する。これは既知の生物学的反応と類似する》
葛城は端末を閉じ、静かに告げた。
「報告には“光刺激に対する周期的発光反応”と記す。だが……俺たちの目に映ったものは“心拍”だった」