第94章:テニアンの地獄、もう一つの終焉
沖縄沖のロナルド・レーガンを無力化し、そうりゅうと大和、そしてまやがそれぞれの運命の航路へと出た頃、日付は1945年8月初旬。マリアナ諸島に位置するテニアン島では、人類がかつて経験したことのない、究極の破壊兵器が、着々とその姿を現しつつあった。
テニアン島北部、ノースフィールド飛行場の一角に位置する、通称「ハッマン地区」。高さ2メートルの有刺鉄線と監視塔に厳重に囲まれたそのエリアは、島全体の賑やかさとはかけ離れた、異様な静寂と緊張に包まれていた。ここには、原爆組立用の二棟の専用ハンガー、通称「ハット802」と「ハット803」が、まるで世界の終焉を司る神殿のように建っていた。
「ハット803」の中では、ロスアラモス研究所から派遣された科学者と技術者たちが、極秘裏に作業を進めていた。彼らの顔には、猛暑による汗と、人類史上初の兵器を扱うことへの途方もない重圧が滲み出ていた。ここでは、すでに二発分のファットマン型プルトニウム爆弾の組み立てが最終段階に入っていたのだ。
最初の核物質は、7月下旬にC-54輸送機によって、カリフォルニアからテニアンへと空輸されてきた。厳重な警備の下、プルトニウムの塊、複雑な爆縮レンズ、高精度の中性子反射材、そして数多くの電子信管や光電センサーが運び込まれた。プルトニウムは、わずか6〜7kgで爆発を誘発するが、その取り扱いは極めて危険であり、専門家たちは細心の注意を払って作業に当たっていた。
「プルトニウム球、インサート準備よし!」責任者の一人が、低い声で指示を出した。
科学者たちは、無菌室のようなクリーンルームで、特殊な防護服に身を包み、厳密な対称性を保ちながら、プルトニウム製のコアを爆縮レンズの中心へと慎重に配置していく。この爆縮レンズこそが、ファットマン型の心臓部だった。32個もの爆薬レンズが、プルトニウム球を完璧な球状に圧縮し、臨界状態へと導く。わずかな非対称性も、核爆発の不完全燃焼、あるいは暴発に繋がりかねない。
「X線照合を開始!各レンズの位置、ミリ単位で確認しろ!」
作業員たちは、X線診断装置を用いて、爆縮レンズの配置が完璧な同心円を形成しているかを確認した。彼らは、精密な工具を使い、わずかなズレも許さずに調整を繰り返す。これは、まさに熟練の職人技であり、高度な科学的知識と、鋼のような集中力を要する作業だった。汗が目に入っても拭うこともせず、彼らはただひたすらに、その「死の芸術品」を完成させていった。