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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1758/2331

第95章 光の網の中で




 厚いガラス越しに見える巨大な円筒は、葵の想像をはるかに超えていた。直径数メートル、長さ数十メートルに及ぶその装置は、幾重にも重なる金属の層とケーブルに覆われ、まるで未来都市のビル群を横倒しにしたかのようだった。


 「これが検出器です」

 説明役を買って出たのはレベッカ・シュナイダーだった。彼女は実験データ解析の専門家であり、その視線には分析者らしい冷静さと誇りがあった。

「ここで、衝突した粒子たちがどの方向に飛び、どんな種類だったかを一つひとつ記録していきます」


 葵は思わず尋ねた。

「でも、粒子なんて直接見えないですよね? どうやって……」


 レベッカは軽く笑い、タブレットを操作して模式図を呼び出した。

画面には、同心円状の層がいくつも描かれていた。中心には衝突点。その周りを幾重もの検出層が囲んでいる。


 「粒子は直接見えません。けれど、痕跡は残します。まるで新雪に足跡が残るように」


 最初に彼女が指差したのは、一番内側の細い円。

「ここがトラッカー(飛跡検出器)。シリコン半導体の薄片が円筒状に並んでいて、荷電粒子が通ると電子が飛び出す。その信号を集めて、三次元の軌跡を再構成するんです」


 久我が横から補足する。

「電子回路は人間の髪の毛より細い配線で敷き詰められていて、空間分解能は数十ミクロン単位。衝突点から出た粒子の“最初の足跡”をここで捕まえる」


 葵は頷きながらメモを走らせた。

「見えない粒子が残す足跡……。まるで透明な彗星の尾を、極小のカメラで追っているよう」


 次にレベッカは一回り外側の層を示した。

「これは電磁カロリメータ。電子や光子がぶつかるとシャワーのように二次粒子を生み、それが光に変換されます。シンチレーション結晶や液体アルゴンを使って、その光をセンサーで拾う」


 「光……つまり可視化できるんですね」葵の声に、少し興奮が混じった。


 「そう。粒子そのものは透明でも、ぶつかった先では光を放つ。だから私たちは“影”ではなく“閃光”を追うことができるのです」


 セレステがそこに加わるように言葉を添えた。

「天文学者にとって、星から届く光は宇宙の言葉。ここでは粒子が生む光が、宇宙の根源を語っている」


 さらに外側の層へ移る。

「これはハドロンカロリメータ。陽子や中性子といった強い力で結びつく粒子を検出します。分厚い鉄や鉛の板を挟み、その中で粒子を減速させながらシャワーを記録する。

 ここまでで、どの粒子が“軽い光の仲間”で、どの粒子が“重い核の仲間”かが分かってくるんです」


 葵は想像した。衝突点から飛び出した粒子たちが、層ごとにふるいにかけられ、光を残しながら消えていく様子を。

 最初の薄雪に残された足跡、次に走馬灯のような閃光、そして分厚い壁を叩いて消える重い粒子たち。


 最後にレベッカが示したのは、一番外側の層だった。

「ここがミューオン検出器。電子より200倍重いミューオンは、他の物質をすり抜けやすい。だから最も外側でようやく捕まえることができるんです。

 もし外壁を突き抜けた痕跡があれば、それはニュートリノの可能性もある。ほとんど相互作用しない“幽霊粒子”ね」


 「幽霊……」葵は思わず身震いした。「そんなものまで探せるんですか?」


 リュックが微笑む。

「“探せる”というより、痕跡が残れば推定できる、という程度だ。けれど、それでも十分。ニュートリノの影は、宇宙を形づくる重要な手がかりだからね」


 説明を終えたレベッカは腕を組み、静かに言った。

「つまり検出器は、粒子の種類ごとに“ふるい分ける多層の網”なんです。軌跡、光、シャワー、そして外郭を抜ける幽霊。そのどれもが、衝突の真実を語る一片になる」


 葵は息をつき、ノートに一文を書き加えた。


「検出器は光の網。粒子の声を翻訳する巨大な耳。」


 ガラス越しに見える巨大な装置は、もはや冷たい機械ではなかった。層ごとに積み重ねられた構造は、まるで生物の感覚器官のようであり、人間の五感を超えて宇宙の震えを感じ取る臓器のように見えた。


 彼女は思った。

この網にかかった一瞬の光は、138億年前の宇宙の記憶かもしれない。人類は地下深くで、その記憶を聴き取ろうとしているのだ。


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