第94章 衝突のエネルギーはどこへ行く?
衝突点のシミュレーション映像がスクリーンに映し出されていた。二本のビームが交差し、その中心から、色とりどりの線が四方八方に広がっていく。光の矢が花火のように飛び散り、外側の検出器に突き刺さる。
「この瞬間、粒子たちはどうなってるんですか?」
西園寺葵は椅子の肘掛けに身を乗り出し、食い入るように尋ねた。
「ぶつかったエネルギーって、どこへ消えるんでしょう」
久我隼人が手を組み、静かに答えた。
「まず覚えておいてほしいのは、エネルギーは消えません。エネルギー保存則がある限り、衝突のエネルギーは別の形に変わるだけです」
セレステ・アンダーソンが補足する。
「高速で走る陽子には運動エネルギーが蓄えられている。衝突すると、そのエネルギーは“質量”に変換され、新しい粒子を生み出します。まさにアインシュタインの式  が働いているのです」
葵は目を見開いた。
「じゃあ、衝突の火花は“新しい命”みたいなものなんですね。エネルギーが、質量という形になって生まれる……」
エリザ・クラインがスクリーンに表示されたイベントディスプレイを指差す。
「この細い線は電子やミューオン、明るいブロックは光子やハドロンシャワー。すべて衝突で生まれた粒子です。ほとんどは既知の粒子ですが、ごくまれに新しい存在が混じることがある」
「その“まれ”を探すんですね」
葵は頷きながらノートに書いた。
「エネルギー → 質量 → 新粒子」
リュック・ベルモンがタブレットでグラフを示す。滑らかな線の上に小さな山が浮かんでいた。
「これは衝突の結果から再構成した質量分布です。山の位置は粒子の質量に対応します。過去には、この山がヒッグス粒子の存在を示した。つまり、衝突エネルギーが一瞬だけ“ヒッグス”という粒子を形にしたのです」
葵は感嘆の声を漏らした。
「エネルギーの一部が、一瞬だけ“名前のある存在”になる……。そしてまた消えていく。まるで舞台の上で、役者が一行だけセリフを残して去っていくみたい」
セレステが微笑む。
「そう、ほとんどの粒子は短寿命で、すぐに崩壊して別の粒子に変わります。でも、残された痕跡を組み合わせれば、“誰が一瞬ここにいたのか”を特定できるのです」
「そしてその“短い存在”こそが、私たちの宇宙観を変える」
久我が言葉を添える。
「エネルギーは無駄にならない。新しい粒子や放射線、熱や光の形で、必ず記録に刻まれる」
葵はノートを閉じ、胸に抱きしめるように言った。
「衝突は一瞬で消えるけれど、そのエネルギーは別の形で必ず残る。まるで宇宙が“私は嘘をつかない”って言ってるみたいですね」
エリザが静かに頷いた。
「その通り。だからこそ、衝突は宇宙を解き明かす最良の手段の一つなんです」
最後に葵はページの端にこう書き込んだ。
「エネルギーは消えない――それは宇宙の誠実さ」
スクリーンの中で再び粒子の花火が弾ける。そこには、一瞬の煌めきに宿る確かな宇宙の法則が、静かに、しかし力強く刻まれていた。