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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1756/2331

第93章 衝突から生まれる痕跡




 実験ホールの明かりが少し落とされ、巨大な検出器のスクリーンが静かに光を放っていた。漆黒の背景に、色とりどりの線が花火のように広がっている。まるで夜空に咲く一瞬の花。しかし、それはコンピュータが描いた、素粒子衝突の再構成画像だった。


「これが、一回の衝突の“痕跡”です」

 久我隼人がスクリーンを指し示した。

「中心が衝突点。そこから飛び出した粒子が、検出器の中で残した足跡を、こうして線や点に変換しているんです」


 西園寺葵は思わず息をのんだ。

「ほんとうに……絵みたい。放射状に広がる花びらの線、その先に咲く光の点。これ全部が、粒子の旅の跡なんですね」


 セレステ・アンダーソンが補足した。

「この細い曲線は荷電粒子。磁場で曲がるので、曲率から運動量が分かる。真っ直ぐ外側に伸びている光の筋は中性粒子が崩壊してできた二次粒子。さらに外の明るいブロックはカロリメータで測ったエネルギーです」


 葵はペンを走らせ、ノートに「線=足跡、点=光の痕」と書いた。

「つまり、ここに描かれているのは“死体”じゃなくて“現場の足跡”なんですね。探偵が残された痕跡を読み解くように」


 リュック・ベルモンが穏やかに頷いた。

「その通り。私たちは目撃者ではなく、探偵なんです。衝突そのものはナノ秒で終わる。直接見ることはできない。けれど、その残された痕跡を丹念に集めれば、見えなかった真実を再構成できる」


 レベッカ・ハワードがタブレットに拡大画像を映した。二つの光子が同時に検出器を叩き、カロリメータのブロックに双子の光の花を咲かせている。

「これは“二光子イベント”。このペアを逆算すると、もとの親粒子の質量が導き出される。もしその質量が既知の粒子のリストに当てはまらなければ、新粒子の可能性があるんです」


 葵は息を呑んだ。

「つまり、光の残像から“母親”の姿を浮かび上がらせるんですね。……まるで、遺伝子鑑定の逆バージョン」


 研究者たちは思わず笑った。その比喩は意外だったが、核心を突いていた。


 エリザ・クラインが冷静に言葉を重ねる。

「痕跡を集めて質量の山を作る。その山が新しい“ピーク”を示せば、それが粒子の証拠になる。ヒッグス粒子の発見も、まさにこの方法でした。直接“見えた”わけではなく、膨大な痕跡の統計の中から、わずかな異常を拾ったのです」


 葵はページに大きな山を描き、頂に「新粒子?」と書き込んだ。

「つまり、“山が立つ”ことが証言なんですね。無数の足跡が重なって、一つの形を示す」


「ええ」リュックが穏やかに言った。

「物理学における真実は、一度の目撃ではなく、繰り返し現れる痕跡の積み重ねで確かめられるんです」


 葵は椅子に深く腰をかけ、スクリーンに広がる光の線をじっと見つめた。

「衝突は一瞬で消えるのに、痕跡は残る。残ったものを集めれば、消えた出来事の意味を知ることができる。……それって、宇宙が自分の秘密を、わざと少しだけ残していってるみたいですね」


 久我は笑みを浮かべ、軽く頷いた。

「いい解釈です。だからこそ私たちは、この痕跡を読み解く作業に夢中になれる」


 最後に葵はノートに大きな文字を書き込んだ。

「痕跡は宇宙の証言」


 そしてゆっくりとペンを置いた。

「直接は見えなくても、証言は消えない。だから科学者は探偵であり、裁判官でもあるんですね。証拠を集めて、宇宙という被告の口を開かせる」


 研究者たちは顔を見合わせ、静かに笑った。

 ホールの奥では、今も数千万回の衝突が繰り返され、その一つひとつが新たな痕跡を残していた。


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