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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1754/2267

第91章 加速された素粒子の測定



 実験ホールの扉が閉まると、周囲は深海のように静まり返った。巨大な検出器の円筒が目の前に横たわり、層ごとの金属の壁や無数のケーブルが、まるで宇宙船の内臓のように絡み合っている。西園寺葵は、その迫力に思わず足を止めた。


「でも……こんなに速い粒子を、どうやって測ってるんですか?」

 彼女は首をかしげながら尋ねた。

「だって、粒子そのものは目に見えないし、触ることもできないでしょう?」


 久我隼人が隣に立ち、軽く笑った。

「その通り。直接“見る”ことはできません。私たちが見ているのは粒子が通り過ぎた痕跡――つまり“足跡”なんです」


 彼は壁に手を当て、内側の層を指差した。

「一番内側にあるのがトラッカー。薄いシリコン板が何万枚も並んでいて、粒子が通ると小さな電気信号を残します。それをつなげると、点々が線になって“軌跡”が描ける。磁場の中で曲がるので、その曲がり具合から運動量を計算できるんです」


 葵は目を細め、弧を描くように手を動かした。

「曲がり方が名札になる……なるほど」


「ただし、曲がり方だけでは速さまでは分からない」

 セレステ・アンダーソンが続ける。

「だから時間を使います。衝突が起きた瞬間から、粒子が検出器まで届くのに何ナノ秒かかったかを測る。それが“TOF=タイム・オブ・フライト”。秒針の目盛りどころか、千億分の一秒の単位で測るのです」


「千億分の一秒!」

 葵は息を呑み、ノートに大きく書き込んだ。


 さらにエリザ・クラインが口を開いた。

「もう一つの方法がチェレンコフ光です。粒子が水やガスの中を、その媒質における光速より速く進むと、青白い光を出す。その光の広がる角度が速度の目印になるんです」


 葵は首を傾げた。

「つまり、水の中で魚が速く泳ぐと波紋が広がるみたいに?」


「いい比喩ね」エリザは小さく笑った。


 久我が次に示したのは、さらに外側の層。

「ここはカロリメータ。粒子が中でぶつかってシャワーのように分裂し、そのエネルギーを全部吸収する。つまり“体力測定”の器械みたいなものです。何ジュールのエネルギーを持っていたかを直接測れる」


「じゃあ、ここで“体重計”と“ストップウォッチ”を合わせて使えば、粒子の素性が分かるわけですね」

 葵の言葉に、研究者たちは一斉に頷いた。


「そう。運動量と速度が分かれば質量が求められる。つまり電子かミューオンか、あるいは陽子か中間子か――“誰なのか”を名指しできる」


 リュック・ベルモンが補足する。

「さらに、dE/dxという方法もあります。粒子が通るときに少しずつエネルギーを失うんですが、その失い方のパターンは粒子ごとに違う。これも個人の“癖”のようなもので、照合に役立つ」


「へえ……。つまり、足跡、走る速さ、体力、癖。まるで探偵が現場の手がかりを組み合わせて犯人を特定するみたいですね」

 葵は笑いながらノートにメモを残した。


 だが彼女の顔が次第に曇った。

「でも、一秒間にそんなにたくさん衝突しているなら、データはどうするんです? 全部残せないですよね?」


 レベッカ・ハワードがタブレットを見せた。

「その通り。毎秒数千万回の衝突が起きています。全部を保存するのは不可能だから、トリガーシステムでふるい分けます。まずは粗い判定で“ありきたり”を捨て、面白そうなイベントだけを残す。最終的に数百件/秒程度に絞るんです」


「“怪しい動きをした人だけ尾行する”って感じですね」

 葵は納得したように頷いた。


 イベントディスプレイに映し出されたのは、衝突の一例。黒い背景に鮮やかな線が放射状に伸び、カロリメータに光の花を咲かせている。

「二つの光子が同時に出たイベントです」久我が説明する。

「エネルギーと角度から逆算すると、元の粒子の質量が浮かび上がる。つまり“母親”を見つけるわけです」


 葵は息を呑んだ。

「見えないものを、痕跡から復元する……。まるで法医学みたい」


 そしてノートの端に、こう書き残した。

「素粒子検出器=宇宙最大の推理現場」


 葵は最後にペンを置き、静かに微笑んだ。

「直接は見えない。でも、音や光や痕跡を集めれば、世界の奥に潜む真実が姿を現す。……なんだか、人間の心を解き明かす作業にも似ている気がします」


 研究者たちは顔を見合わせ、少し照れくさそうに笑った。

 その笑みの奥には、科学という推理劇を演じる仲間同士の確かな誇りがにじんでいた。


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