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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1745/2229

第81章 銀河系に潜む巨大ブラックホール



 西園寺葵は、展示室から研究棟の長い廊下へと戻りながら、まだ頭の中で渦巻く問いを整理していた。

 ブラックホールの事象の地平面に“時間が貼り付く”という説明は、想像するだけでぞっとする。しかし、さらに気になったことがあった。


「ねえ」

 葵は歩きながら振り返り、セレステとエリザに声をかけた。

「ブラックホールって、遠い宇宙のどこかにしかないんですか? 銀河系には……ないんですか?」


 その問いに、二人は同時に微笑んだ。

「ありますよ。しかも、すぐ近くに」

 セレステの声は少し愉快そうだった。

「私たちの銀河系の中心――いて座の方向には、“いて座A*(エースター)”と呼ばれる超大質量ブラックホールが存在します」


 葵は立ち止まり、思わず声を上げた。

「えっ、私たちの銀河の真ん中にブラックホールがあるんですか!? それって危なくないんですか?」


 久我隼人が歩み寄ってきて、落ち着いた調子で説明した。

「質量は太陽の約400万倍。直径は太陽系の水星軌道程度しかないのに、銀河全体の星々をまとめる重力の“錨”のような存在です。でも心配はいりません。地球は中心から約2万6千光年も離れている。引きずり込まれることはありません」


 葵は胸に手を当て、少し大げさに肩で息をついた。

「よかった……てっきり、いつか地球ごと吸い込まれてしまうのかと」


 エリザがわずかに微笑んだ。

「その心配は杞憂です。ただし――ブラックホールの存在は、天文学にとっては大きな意味を持っています。星の軌道観測から存在が確実になったのは、わずか数十年前のこと。ケック望遠鏡やVLTが捉えた恒星の“ダンス”が決定打でした」


 彼女は手帳を開き、滑らかな筆致で数式を描いた。

「恒星が中心を公転する速度と周期を測定すれば、見えない中心天体の質量を逆算できる。ニュートン力学とケプラーの法則が、現代でも証拠を提供したのです」


 葵は思わず身を乗り出した。

「つまり、目には見えないのに、星たちのダンスが“黒い怪物”の存在を暴いたってことですね。……なんだか推理小説みたい」


 セレステが楽しそうに頷いた。

「そう、その観測の功績で、2020年にはノーベル物理学賞が授与されました。いて座A*は、天文学者たちが追い続けてきた“真犯人”のような存在なんです」


 葵はノートに「いて座A*=銀河の錨」と大きく書き込み、しばらく見つめた。

「でも、そんな巨大なものが中心にあるなら……銀河系全体は、それに引きずられているんですか?」


 久我は少し考え、言葉を選んだ。

「正確には、ブラックホールが“銀河を回している”わけではない。むしろ、銀河全体の重力が中心に質量を集め、その結果としてブラックホールが育った。両者は共進化してきたのです」


 「共進化……」葵は口の中でその言葉を繰り返した。

「つまり、銀河とブラックホールは、お互いに影響し合いながら成長してきたってことですか?」


 「その通り」

 エリザが短く答える。

「銀河の形成史を理解するには、ブラックホールの成長を調べなければならない。逆にブラックホールを理解するには、銀河の歴史を追う必要がある。両者は切り離せないのです」


 葵はペン先を止め、少しお嬢様めいた微笑を浮かべた。

「なるほど。銀河系って、ブラックホールという“秘密の中心”を抱えた物語なのね。まるで舞踏会の真ん中に、誰も触れられない黒衣の主役がいるみたい」


 その言葉に研究者たちは一瞬だけ沈黙し、やがて誰からともなく笑みをこぼした。比喩は無邪気で詩的だが、不思議と的を射ていた。


 葵は満足げにノートを閉じ、視線を夜空に思い描くように遠くへ投げた。

「……もし私たちが銀河の外から見えたら、この大きな渦の真ん中に、黒い心臓が静かに鼓動しているのが見えるんでしょうね」


 その呟きは、展示室の照明の下でも確かに宇宙の奥行きを感じさせ、誰もすぐには言葉を重ねられなかった。


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