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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1734/2259

第70章 なぜ古典力学はよく当たるのか




 カメラマンが機材を調整する間、西園寺葵は会議室の椅子に腰を下ろし、しばし窓越しの地下施設を眺めていた。

 さきほど聞いた「デコヒーレンス」という言葉が耳に残っている。量子の曖昧さを、環境が統計へと変換する――なるほど、筋は通っている。だが彼女にはまだ一つの違和感があった。


「エリザさん、久我さん」

 葵はノートをめくり、遠慮なく問いを投げた。

「量子の世界は確率的なのに、なぜ日常の世界では“ニュートンの法則”がよく当たるんですか? 机を押せば動く、ボールを投げれば放物線を描く……。それって、完全に決定論ですよね?」


 久我は軽くうなずき、エリザに視線を送った。

エリザは腕を組み、まっすぐ葵を見つめる。

「いい質問です。理由は三つあります。


一つ目は大数の法則。

二つ目は不確定性の相対的な小ささ。

三つ目は巨視的自由度の平均化。


これらが重なって、日常世界は“ほぼ決定論的”に見えるのです」


1. 大数の法則


 エリザはホワイトボードに「サイコロ」を描いた。

「たとえば電子一個のふるまいは確率的で、次にどこへ飛ぶかは完全には予測できない。でも、数十億個の電子が同時に動けばどうなるか?」


 彼女は次に、無数の点を描き、真ん中に大きな円を描いた。

「大量の試行を繰り返すと、結果は平均値に近づく。これが大数の法則です。

電流も、空気の分子運動も、同じ。個々はランダムでも、全体では法則的になる。だから電気回路や熱力学が成立する」


 葵はノートに「大数→平均が法則化」とメモした。


2. 不確定性の相対的な小ささ


 今度は久我が口を開いた。

「次は不確定性原理。位置と運動量を同時に正確に知ることはできない、というやつです。


でも、この不確定さは“粒子が小さいからこそ目立つ”。たとえば、野球のボール。質量はおよそ0.15キロ。電子の数で言えば10の25乗個の粒子でできています。

そのボールの位置の不確定さを計算すると……天文学的に小さい。ミクロでは効いても、マクロでは完全に無視できる」


 葵は目を丸くした。

「つまり、不確定性は消えるんじゃなくて、“無視できるほど小さい”ってことですね」


「そうです」

 久我は頷く。

「だからこそ、ボールの軌道はニュートンの運動方程式でほぼ正確に計算できる」


3. 巨視的自由度の平均化


 エリザが再びマーカーを取った。

「三つ目は巨視的自由度の平均化です。

机ひとつを考えましょう。無数の分子が絶えず振動している。でも、その総和はほぼ一定に平均化される。だから机は“静止した固体”として観測される」


 彼女は図を描き、分子がバラバラに動く様子を示し、次に太い矢印を描いた。

「小さな揺らぎは統計的に打ち消し合い、大きな安定が姿を現す。それが古典力学の舞台なのです」


 葵は深く息をつき、ノートに三つの理由を書き出した。

1.大数の法則

2.不確定性の相対的小ささ

3.巨視的自由度の平均化


「なるほど……。つまり“古典力学は正しい”のではなく、“古典力学で十分なほど誤差が小さい”ということなんですね」


 エリザは満足げに微笑んだ。

「まさにその通り。古典力学は近似理論です。でもその近似は驚くほど良く働く。だから日常生活では、量子力学を意識する必要はないのです」


 そのとき、レベッカが口を挟んだ。

「面白いでしょ? 私がAIでデータを扱うときも同じ。個々のデータはバラバラで不確定。でも何十億件も集めると、きれいな分布が浮かび上がる。つまり、大規模データが古典的な法則を生むのよ」


 葵は笑みを浮かべた。

「科学って結局、“平均の上に成り立っている世界”を見ているんですね」


「そう」

 久我が締めくくった。

「そして、平均が破れるほど極端な条件――光速に近い速度や、原子一個のスケールでは――古典力学は崩れ、量子や相対論が顔を出す。だから科学者はその境界を探し続けているのです」


 葵はページの最後に大きな文字で書いた。


「古典力学=近似。だが平均が効く世界では驚くほど正確」


 彼女はふと、窓の外の巨大リングを見やった。

 今この瞬間も、そこでは何十億もの粒子が同時に加速され、衝突を繰り返している。

 ――ミクロの曖昧さが、巨視の確実さを支えている。


 その思いを胸に、葵は次の問いを準備した。

「では、時間そのものはどう変わるのか?」


 物語は次のステップへ進もうとしていた。


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