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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1727/2254

第63章 旅立ち ― 成田からジュネーヴへ



 朝の東京は、まだ柔らかな冬の光に包まれていた。

 高層ビル群の窓には青白いガラス越しに陽が差し込み、地上を行き交う人々の歩調はどこか早い。2025年は史実より十五年、科学技術の進歩は都市の風景をも変えていた。無音走行のリニア型モノレール、道路脇を走る自動配送車群、ビルの壁面に投影される三次元広告。それらはすでに日常の一部で、誰も特別に目を向けることはない。


 西園寺葵は、取材用のキャリーケースを片手に、成田国際空港の第5ターミナルに到着した。空港そのものも大きく変わっている。顔認証と量子暗号通信を使った自動ゲートは並ぶ必要すらなく、手に持ったパスポートをかざすだけで通過できる。世界各国の研究者や観光客が次々と滑らかにゲートを抜けていく。


 葵は振り返り、同行するテレビクルーに向かって笑みを浮かべた。

 


 彼女はゆるくまとめた黒髪を指で整えた。ジャケットの内ポケットには愛用の万年筆と革製の手帳。ノートPCよりも筆記を好むのは、彼女が旧来の記者らしい気質を受け継いでいるからだった。周囲がすべてデジタル化される時代だからこそ、紙に書かれた文字は特別な意味を帯びる。取材対象者の一言一句を、インクの跡として残す。それが彼女の信念でもあった。


 今回の旅の目的は、スイスとフランスの国境にまたがって建設された**新型粒子加速器《ECLH(European Circular Linear Hybrid)》**の初公開イベントである。

 直径100キロを超える円形トンネルと、線形加速器を融合させた世界最大規模の実験施設。プラズマ加速、超伝導RF空洞、量子重力理論の検証――そのすべてを視野に入れた“人類史上最大の科学実験”と呼ばれていた。世界中の研究者、政治家、メディアが集うこのイベントに、日本から派遣されるテレビ局の代表リポーターが西園寺葵である。


 「ここからが本番ね」

 葵はゲートを抜け、搭乗口へと歩を進めた。頭の中ではすでにリポートの構成を組み立てている。

 ――第1カットは出発のシーン。東京の未来的な街並みと空港の様子を背景に、視聴者へ“これからヨーロッパの科学の最前線に行く”という高揚感を伝える。

 ――第2カットはフライト中、窓越しに広がる成層圏からの映像。地球の曲率を背景に「科学はこの星全体を舞台にしている」と語る。

 ――第3カットは到着後、ジュネーヴの空港で各国研究者が入り混じる光景を捉える。科学が国境を超える現実を、視覚的に表現する。


 彼女はメモ帳に素早く走り書きした。

 「“科学は国境を超える”……少し陳腐かもしれないけど、今回は本当にそれを映像で示せる」


 クルーの一人が尋ねる。

 「葵さん、やっぱり緊張してます?」

 「もちろん。でも緊張するのは悪いことじゃない。観客が知りたいのは、科学者の数式よりも“私たちの世界はどう変わるのか”。それを私が聞き出せなかったら、存在する意味がないわ」


 搭乗開始のアナウンスが流れる。

 葵は深呼吸をし、チケットを手に取った。国際線の座席は、記者や研究者が多く占めている。隣に座るのは、日本の国際加速器研究所の若手研究者で、出発前からノートPCに数式を並べていた。

 「すみません、隣いいですか?」と葵が声をかけると、彼は一瞬驚いたように顔を上げた。

 「もしかして……西園寺さんですか? テレビで見てます」

 「ありがとう。でも今日はお互い、ただの旅人よ。科学の旅を一緒にしましょう」


 笑顔を交わし、葵は窓の外に目を向けた。滑走路には無音走行のハイブリッド航空機が並び、機体の翼端には青白いプラズマ推進ランプが灯っている。最新鋭の超長距離機――東京からジュネーヴまでを無給油で結ぶ、量子燃焼エンジン搭載機だ。

 15年前には夢物語だった航空技術が、いまや彼女を科学の舞台へと運んでいく。


 エンジンが点火され、機体が静かに加速を始める。

 葵は手帳を開き、最初のページにこう書いた。

 ――「科学の最前線に、社会の声を届けに行く」


 その言葉とともに、彼女の旅が始まった。


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