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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1721/2229

第57章 死者と共に暮らす


 冷凍カプセルは居住モジュールの隅に鎮座していた。赤い警告灯が、昼も夜も規則正しく「隔離中」を点滅させている。その点滅は心臓の鼓動のように隊員たちの視界に入り込み、誰も言葉にしない「死」の存在を執拗に告げ続けていた。


 空調の低い唸り、酸素リサイクルの脈動、遠くで砂が壁を叩く音――それらに混じるわずかな冷却音が、神経を逆撫でし続ける。仲間と共にいるはずのモジュールの空気は、もはや死者と共にある空気に変わっていた。



 佐伯は日に何度もカプセルの表示を確認した。温度、圧力、内部センサーのわずかな変化。冷却が数度でも乱れれば、未知の小球体が活動を再開するのではないか――そんな恐怖が眠りを断ち切った。医師として冷静さを保とうとすればするほど、目の前の現実がのしかかる。

 彼はかつて患者を救うためにここへ来たはずだった。だが今は「患者」ではなく「感染源」として仲間を扱わざるを得なかった。その矛盾が夜ごと胸を締め付けた。



 野間は日誌を書く手を何度も止めた。ロペスの名を記すたびに、AI〈ARIEL〉の冷徹なタグ――「研究対象N=1」が頭をよぎる。仲間をサンプルとして数えることに加担しているのではないかという自責が、言葉を曇らせた。

 日誌はもはや記録ではなく、自分がまだ人間であることを確かめる唯一の手段となっていた。けれど、書く行為そのものがAIの研究ログと同質化していくように思え、恐怖と罪悪感は募る一方だった。



 葛城は訓練された軍人として、任務遂行を最優先にせざるを得なかった。だが視線を向けるたび、カプセルの中のロペスの姿が網膜に焼きつき、判断の鋭さを鈍らせた。

 「生き残った俺たちは、次に死んだら誰が隣に収められる?」

 その問いが胸に沈んで離れなかった。彼の命令はいつも通り冷静だったが、その裏にある迷いは隠しきれなかった。



 日々の生活は微妙に歪んでいった。食堂で笑い話を試みても、赤い警告灯が視界の端で瞬けば、会話は途切れた。睡眠ポッドに身を横たえても、冷却音が耳の奥にこびりつき、誰も深く眠れない。


 感染の恐怖は空気そのものを疑わせた。

 「もし冷却が不完全で、微生物が空調に混じったら?」

 「もし手袋の交換を忘れて、カプセルに触れてしまったら?」

 想像は際限なく連鎖し、手洗いは過剰になり、会話は短くなり、互いの視線は避けられるようになった。



 AI〈ARIEL〉は繰り返した。

「感染リスクは統計的に極小です。日常業務の遂行に支障はありません」


 その合理的な言葉は、むしろ人間たちの不安を増幅した。「統計的に小さい」ということはゼロではない。しかも、その小さな確率に選ばれたのがロペスではなかったか。

 合理性は慰めにならず、冷酷さとしてしか響かなかった。



 火星の昼と夜は、赤い砂嵐と静かな闇で繰り返される。だがカプセルの警告灯だけは止まることなく点滅し続けた。

 日誌のページは増えた。モニターには繰り返し同じログが並んだ。人間は変化のない日々に疲弊し、AIは変化のないデータを「安定」と呼んだ。


 数週間が数か月に積み重なる。死者と共に、未知の微生物と共に、閉じ込められた日常を生きなければならなかった。

 その重圧は彼らの精神を確実に蝕み、やがて互いの信頼までも侵し始めていった。


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