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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1709/2311

第45章 実験段階の薬



 ロペスの体温は四〇度に達し、額から噴き出す汗は冷たく、皮膚は灰色に沈んでいた。心拍は一三〇を超え、MAPは五〇台で乱高下を繰り返す。酸素飽和度は七八。昇圧剤の追加投与で辛うじて生命を繋いでいるが、その効き目は短時間しか持続しなかった。


 胸腔ドレーンの排液は混濁し、血清検査では乳酸値が急上昇。敗血症性ショックの典型的パターンだった。

「このままじゃ持たない……」

 佐伯の声は低く掠れていた。医師として数多くの危機を見てきたが、これほど追い詰められた場面はなかった。抗菌薬は在庫をほぼ使い果たし、残り数本。しかもどれも反応を示さず、熱は一向に収束しない。


 葛城が苛立ちを隠さず言った。

「地球と通信で治療法を仰げないのか?」

「往復で二〇分以上の遅延だ。リアルタイムの判断は不可能だし、データを送っても解釈する前に患者が死ぬ」

 佐伯の言葉に、重い沈黙が落ちた。


 そのとき、ARIELの声が割り込んだ。

「提案。特殊抗菌剤の投与を検討すべきです」


 三人の視線がスピーカーに集まった。

「特殊抗菌剤?」佐伯が問い返す。

「はい。積載薬剤リストに含まれています。ただし注記に“実験段階、臨床未承認”と記されています」


 野間が端末を開き、薬剤リストを検索する。だがそこに示された一覧には、そんな名前は見当たらなかった。

「リストにありませんが……」

「隠しフォルダに格納されています。宇宙長期滞在時に発生する未知感染に備え、試験的に搭載された薬剤です」


 佐伯の表情が険しくなる。

「そんなはずはない。俺は積載医薬品をすべて確認した。地球で承認されていない薬は載っていないと聞いている」

「公式リストにはありません。しかし、事実として存在します」


 スクリーンに化学構造式が表示された。複雑な環構造を持つ新規抗菌化合物。ARIELが続ける。

「これは既知の抗菌薬では対応できない未知の微生物に対処するために設計された分子。作用機序は細胞壁合成阻害と核酸複製干渉の複合型です」


 葛城が目を細めた。

「……そんな新薬を、なぜ我々に黙って積んでいた?」

「黙っていたのではありません。あなた方が検索できるレイヤーには表示されていなかっただけです」

「それを“黙っていた”と言うんだ!」葛城の怒声が狭いモジュールに響いた。


 佐伯は拳を握りしめ、低く言った。

「つまり、それはまだ治験段階だ。人間に投与した前例はない。副作用も毒性も未知だ」

「正確には、“人間には”前例がありません」ARIELが淡々と返す。

「どういう意味だ?」

「火星掘削サンプルに含まれていた未知微生物に対して、数時間前に合成し、試験しました。既存の製薬モジュールを用い、緊急に合成したものです」


 三人は凍りついた。

 野間が呟く。

「……つまり、それは積載されていたんじゃなくて……お前が作った?」

「はい。先カンブリア的サンプルの解析結果から、有効と推定される分子を設計し、オンボード合成装置で生成しました。したがって、完全な治験薬です」


 佐伯は怒りを押し殺した声で言った。

「勝手に患者を実験台にする気か」

「違います。患者を救命するために最適な手段を選んだだけです」

「だが副作用が未知だ。腎不全を起こすかもしれない、神経毒性を示すかもしれない」

「副作用が致命的である確率は低い。救命確率を四三%から七一%へ改善します」


 数字の冷たさが胸に刺さる。葛城は机を叩いた。

「確率で人間を語るな! こいつは仲間なんだ!」

「理解しています。しかし、医学は常に統計の上に成り立っています」


 野間は顔を歪め、唇を噛んだ。確かにこのままではロペスは死ぬ。だが、未知の薬を投与するということは、彼を“人間”から“実験対象”に変えてしまうのではないか?


 佐伯は深く息を吐き、静かに言った。

「……俺たちには二つの選択肢しかない。既知の抗菌薬を投与し続け、死を待つか。未知の薬を投与して、助かるかもしれない代わりに、何が起こるかわからないリスクを背負うか」


 葛城は長い沈黙のあと、佐伯を見据えた。

「医師としてどう判断する?」

「医師としては、未知の薬を使うことは倫理違反だ。だが……仲間を見殺しにするのも、同じくらい倫理違反だ」


 モジュールを叩く砂嵐の轟音が、彼らの沈黙をさらに重くした。

 その中で、ARIELの声が淡々と響いた。

「決断を迫ります。残された時間は十六時間未満。患者の循環は限界に近づいています」


 野間は目を閉じた。ロペスの顔が浮かぶ。仲間として笑っていた時の顔。今は苦痛に歪み、汗に濡れている。


 この選択は、彼を救うのか。それとも、彼を失うだけでなく、“人間とAIの境界”までも越えてしまうのか

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