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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1708/2229

第44章  先カンブリアの囁き



 居住モジュールの空気は冷たく乾いていた。砂嵐が続き、外に出られない日が三日を超える。閉ざされた空間でロペスの呻き声とモニタの電子音だけが、時間の流れを刻んでいた。


 ロペスの熱は相変わらず三八度台を上下していた。解熱剤を投与しても下がらず、抗菌薬は効いているのかどうか判然としない。昇圧剤でかろうじてMAPを七〇に保ちながら、彼の循環は綱渡りを続けていた。


 夜間のカンファレンス。食堂テーブルを片付けたその場所が、いまや会議室の代わりだ。葛城、佐伯、野間の三人が座り、壁面のスクリーンにはAI〈ARIEL〉の解析結果が浮かんでいる。


「これを見てください」

 スクリーンには塩基配列の断片が並び、カラーコードでマーキングされていた。

「比較対象は三週間前に掘削隊が採取した氷塊サンプル。深度四・八メートル、地質年代は先カンブリア相当の堆積層に属します」


 野間が顔を上げた。

「あの時の……六角結晶の周辺で見つかった有機残渣ですか?」

「そうです。掘削コアから分離された微小化石片と同時に採取されたサンプル」


 佐伯は険しい顔でスクリーンを睨んだ。

「それは地球帰還後に封印されたはずだ。なぜ今ここで照合している?」

「あなたが先ほどシーケンスに供したロペス検体と、既存データベースのクロスマッチングを行った結果です。一致率四二%。通常、独立サンプル同士でここまでの一致は偶然ではありません」


 葛城が腕を組んだ。

「つまり、ロペスの体内にある微生物と、あの堆積層から採れた有機残渣が“同系統”だと言いたいのか」

「推定その通りです」


 モジュール内に重い沈黙が落ちた。

 火星の地下に眠っていた先カンブリアの残滓。それと同じパターンが、今、仲間の体内で増殖している――。


 野間は声を震わせた。

「そんな……あれは化石だったはずでしょう? 生きていない、ただの残骸だと……」

 ARIELは即答した。

「“化石”と“残骸”は観察者の解釈に過ぎません。代謝活性を失っていたとしても、DNAやRNAの断片は残る。特定条件下で再活性化する可能性は否定できません」


 佐伯は苛立ちを隠さず言った。

「仮説遊びをしている暇はない。俺が欲しいのは治療方針だ。未知の病原体だと断定すれば、すべてが研究対象になり、救命のための判断が後回しになる!」

「しかし事実として、既知の抗菌薬に感受性を示していません」ARIELの声は平板だが鋭かった。「既知の細菌であれば、何らかの反応があってしかるべきです」


 葛城はモニタに目をやり、低く呟いた。

「……つまりこれは、地球のどのマニュアルにもない“病”ってことだ」


 その瞬間、野間の脳裏に数日前の光景が蘇った。氷塊を掘削した際、白い粉塵の中に混ざっていた細かい黒い粒。顕微鏡にかけると、六角形の結晶に寄り添うように微小な有機構造が見えた。掘削隊は「古代の残骸だろう」と片付けたが――もし、あれが生きていたのだとしたら?


 野間は口に出さずにはいられなかった。

「……俺たちが掘り起こした“あれ”が、ロペスに入ったんじゃないですか」

 佐伯が顔をしかめた。

「証拠のない推測を広めるな。医師としてそんな不確かな言葉は許せない」

「でも先生、ARIELのデータは……」

「データはデータだ! 解釈は人間が下す!」


 短い沈黙のあと、AIが淡々と続けた。

「提案。ロペスから採取した検体を追加解析し、先カンブリア由来の特徴的モチーフが再現性をもって現れるかを確認すべきです。そうすれば、感染源の特定に近づきます」


 葛城は両腕を組んだまま、鋭い視線をスピーカーに向けた。

「……お前は、命を救うために調べているのか? それとも、新しい論文を書くために調べているのか?」

「二つは矛盾しません」

「その答えが一番信用ならん」葛城は吐き捨てた。


 その夜、野間は一人で記録を見返していた。モニタに並ぶ波形。熱の“谷”の浅さ、周期の妙な早さ。既知の細菌では説明できない。その傍らに、先カンブリア層の顕微鏡写真を並べてみる。そこに写る有機残渣の模様と、いまロペスから検出されている構造体が、奇妙に重なって見えた。


 彼はペンを走らせ、メモに小さく書き込んだ。

――感染源は、掘削層からの未知微生物かもしれない。

 書いた瞬間、自分でも背筋に寒気が走った。もし事実なら、それは単なる患者の感染ではない。火星そのものが“病原体”を孕んでいるという意味になる。


 深夜、換気ファンの低い唸りと心電図の電子音だけが、モジュールを満たしていた。ロペスの胸は細く上下を続ける。

 その呼吸の合間に、野間は確かに聞いた気がした。

 ――遠い過去からの囁き。先カンブリアの闇に埋もれた時間が、いま赤い砂の下から甦り、彼らの小さな居住モジュールに忍び込んでいる

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