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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13

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第25章 火星長期滞在 ― ハウス栽培



 居住モジュールの一角にある「緑の部屋」。正式名称は生態循環試験ハウスだったが、クルーは親しみを込めて「菜園」と呼んでいた。外の赤い荒野とは正反対に、そこには湿った空気と柔らかな光が満ちていた。人工照明が一定の周期で色を変え、昼夜のリズムを再現している。


 葛城副艦長は、ドアを開けた瞬間に立ちのぼる匂いに目を細めた。土の匂い。正確には培地に使われる人工土壌と栄養液の混じった匂いだが、それでも地球を思い出させるには十分だった。

 「……いいな。ここにいると、火星にいることを忘れる」


 藤堂科学主任は、トマトの蔓を支柱に結わえ直していた。葉は厚く、淡い緑に透けている。LEDの光を受けて、指先に温かな感触が伝わった。

 「光合成効率は地球よりもやや低いけど、二酸化炭素が豊富だからね。火星は、植物にとっては悪くない環境なんだ」

 そう言って笑みを浮かべる。彼の眼差しは研究者のものだったが、同時に農夫のようでもあった。


 野間通信士は、水耕栽培槽のポンプの音を聞きながら、葉の先に付いた小さな水滴をじっと見ていた。循環水から蒸発したわずかな湿り気が、頬に触れる。外界の極端な乾燥を知っているからこそ、その水滴が奇跡のように思えた。

 「地球にいた頃は、水の音なんて意識しなかった」

 彼が呟くと、隣で作業していた佐伯医官がうなずいた。

 「ここは患者の心を治す病室みたいなものよ。緑を見ると、脈拍が自然に落ち着く」


 栽培されているのはレタス、ジャガイモ、トマト、そして試験的なイチゴ。栄養パックが主食である彼らにとって、この小さな農園は贅沢以上の意味を持っていた。緑の葉をちぎって口に入れると、わずかな苦みと水分が舌に広がる。それは再生水や加工食にはない、生きた味だった。


 収穫の日、クルーは必ず集まった。今日収穫されたのは、実験用として育てられた小さなトマト十数個。赤い実は光沢を放ち、手に持つと温かさが伝わる。葛城がひとつを半分に割り、仲間に分けた。

 「たった一口かもしれんが、これは俺たちの勝利だ」

 口に含むと、酸味が弾け、甘みが後を追った。誰もが言葉を失った。食料供給という意味以上に、それは「地球を再現すること」に成功した証拠だった。


 ――


 一方、周回軌道の母船YAMATOにも、わずかだが植物区画が設けられていた。重力の不安定な環境での栽培は難しく、主に藻類や微細植物の培養が中心だった。鶴見技術曹長が透明な培養槽を覗く。緑色の藻が静かに漂い、気泡を吐き出している。

 「食えるかどうかより、酸素を生むことが大事だな」

 南條艦長は無言で頷きながら、漂う藻を指先で示した。

 「それでも、緑は人を落ち着かせる。火星の赤と宇宙の黒しか見ていない目にはな」


 山岸准尉は、藻類培養槽の光を見つめながら思った。地表チームが新鮮なトマトを食べている姿を映像で見たとき、羨望と同時に安堵を覚えた。彼らが緑を育てられる限り、この任務は続けられる。


 ――


 夜、地表チームは菜園の中央に立ち、全員で黙祷のように植物を見つめた。LEDが夕暮れ色に変わり、葉が静かに閉じ始める。

 「この緑は、俺たちが生きている証だ」葛城が言った。

 藤堂は微笑み、葉に手を伸ばした。

 「そして、未来の誰かがここで暮らせる可能性だ」


 外は氷点下百度の荒野。だが透明なドームの内側では、小さな森が静かに息づいていた。

 火星での菜園。それは単なる実験でも食料供給でもなかった。人間が人間であるための、最後の拠り所だった。


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