第88章:二つの閃光、そして苦渋の選択
斎藤三尉からの時空の歪み再発生の報を受け、そうりゅう艦長は直ちに大本営へその情報を伝達した。沖縄のそうりゅう独自の観測データが、刻一刻と迫る破滅の輪郭を浮き彫りにしていた。
呉の司令部会議室では、秋月一等海佐と有馬艦長が、東條、山本、梅津、豊田といった最高幹部たちと、新たな、そして最も絶望的な事実を前にしていた。
「そうりゅうからの情報と、我々『まや』のデータベースを照合した結果…広島と長崎への原子爆弾投下時期が判明いたしました」秋月は、重い口調で告げた。その声は、震えていた。「Xデーは、わずか数日後です。そして…攻撃は、同時に二機のB-29によって行われます」。
その言葉に、会議室は凍り付いた。史実では広島と長崎は時間差で攻撃されたはずだ。しかし、彼らが持ち込んだ未来の情報、歴史をすでに歪めている。二つの都市が、同時に地獄と化す。幹部たちの顔は血の気を失った。
「同時に二機だと…!?」梅津が、怒りとも恐怖ともつかない声を上げた。「それは…まさか、我々が知る史実と異なるのではないか!?」
有馬は、苦渋の表情で答えた。「閣下。我々が未来から来たことで、歴史の歯車はすでに狂い始めています。ロナルド・レーガンの存在が沖縄の戦局を変えたように、原子爆弾の運用計画もまた、変化したと考えるべきでしょう。二つの都市が、同時に…」
「『まや』による迎撃は可能だと申したではないか!」東條が、秋月に詰め寄った。彼の声には、僅かに残された希望が込められていた。
秋月は、力なく首を振った。「…申し訳ありません、閣下。単機での迎撃であれば、SPY-6レーダーとSM-2ミサイルで十分可能だと申し上げましたが、同時に二機が異なる方向から飛来した場合、『まや』一隻での迎撃は極めて厳しい可能性が出てきました。我々の残弾は数発しかありません。二機を同時に、かつ確実に撃墜するほどのミサイルは残されておりません。一撃で撃墜できなかった場合、二発目が投下されるリスクを負うことになります」。
その言葉に、会議室は再び深い沈黙に包まれた。希望は、脆くも崩れ去った。たった一隻のイージス艦では、二つの死神を同時に止めることはできない。日本は、まさに絶体絶命の淵に立たされていた。
山本五十六が、ゆっくりと顔を上げた。その目は、諦めではなく、この国の未来を見据える、深い苦悩に満ちていた。
「…秋月一等海佐」山本の声は、静かであったが、その言葉には、極めて重い意味が込められていた。「最も確実な阻止方法は…もはや、他に一つしかないのではないか」。
秋月は、山本の視線を受け止めた。彼の言葉の意図を正確に理解し、そして、それが日本にとって、どれほど重い選択であるかを痛感していた。
「はっ…」秋月は、震える声で答えた。「閣下の仰る通りです。軍事的な阻止が極めて困難であるならば…最も確実なのは、天皇陛下による早期の無条件降伏受諾を進言することです」。
その言葉が会議室に響き渡った瞬間、全ての幹部の表情が硬直した。無条件降伏。それは、この国の名誉を、誇りを、全てを投げ捨てることに他ならない。
東條の顔は、苦渋に歪んだ。彼にとって、降伏は、軍人としての死を意味した。しかし、目の前に突きつけられた二つの原子爆弾の脅威は、彼が抱く「玉砕」の思想をも凌駕する、究極の破滅だった。
「史実では…」秋月は、さらに言葉を続けた。「もし、日本がもう少し早く無条件降伏を受諾していれば、広島、長崎への原子爆弾投下は阻止できたはずです。我々が知る歴史では、天皇陛下が御聖断を下されたのは、広島への投下後でした。しかし、今ならば…まだ間に合うかもしれません」。
会議室は、鉛のような沈黙に包まれた。悲劇を回避する唯一の道が、「降伏」であるという、最も受け入れがたい選択肢であった。
東條は、目を閉じ、深く息を吐き出した。彼の脳裏には、天皇への忠誠、そして国家の存亡が交錯していた。彼の決断が、この国の未来を、そして数百万の国民の命運を、決定づけることになるのだ。