第9章 知性の多様性
火星モジュールの食卓には、再水和された朝食のパックが並んでいた。無重力に近い環境で静かに漂う匂いは薄いが、会話がそれを補っていた。
野間「今日の議題は“知性の多様性”。言語を持たない存在の知性について話したい」
藤堂「私は古生物学者だから、恐竜や三葉虫の化石から“痕跡”を読む。彼らは言語を持っていなかったが、行動様式には確かに知性が見える。たとえば恐竜の群れ化石――同じ方向に倒れているのは群れをなしていた証拠だ」
佐伯「それは医療からも分かる。チンパンジーは怪我をした仲間の傷を舐める。イルカは溺れた仲間を背で支える。言語はなくても、他者を理解する力がある」
葛城「しかし、その理解を“知性”と呼ぶかは議論が分かれる。軍事史でも、狼や馬が人間に利用されてきたのは“学習と適応”があったからだが、それを人間はしばしば“本能”と呼んで切り捨てた」
Ωが口を開いた。
Ω《知性をどう定義するかが問題だ。計算能力なのか、道具使用なのか、他者理解なのか。タコは数ヶ月で迷路を学び、瓶の蓋を開ける。カラスは道具を作り、将来の餌を隠す。これを知性と呼ばずにいられるか》
野間「でも彼らは人類のように“記録”を残さない。考古学の対象にならない知性だ。人間は洞窟壁画を描き、土器を焼き、遺構を残した。それが“文化”として知性を証明している」
藤堂「そこが重要だ。火星探査機が表面を走査すると、地形に“パターン”を見出す。我々はそれを文化の痕跡か自然現象か議論する。言語や文字がない存在でも、痕跡は残る。古代の集落跡、道具の摩耗、墓の配置――それはすべて“非言語的知性”の証明だ」
佐伯「人類は化石や遺構から“彼らはこう考えていたに違いない”と推定する。でも実際には違うかもしれない。……医療にたとえれば、患者の沈黙から感情を読み取るのと似てる。沈黙はゼロではなく、膨大な情報を孕んでいる」
葛城「それは逆に危険だ。推定は常に“人間中心”になる。我々はイルカに微笑を見て“楽しんでいる”と解釈するが、実際は苦痛かもしれない。……古代の遺構も同じだ。墓を“宗教儀式”と見るが、単に実用的に死体を避けただけかもしれない」
野間「確かに。知性の多様性を理解するには、“人間の枠組み”を意識的に外さなければならない」
Ωが低く結んだ。
Ω《知性には“言語的知性”と“非言語的知性”がある。言語的知性は記録や伝達を可能にし、文明を築く。非言語的知性は環境適応や行動の柔軟性に現れる。両者は優劣ではなく、異なる軸に存在する》
藤堂「思えば、人類の文明は言語と記録に依存しすぎた。だが、非言語的知性の方が持続的かもしれない。化石に刻まれた行動パターンは、言語より雄弁なこともある」
佐伯「医師として感じるのは、感情表出が少ない患者ほど診察は難しい。でも、わずかな仕草や沈黙の“重み”に気づいたとき、そこに深い知性があると分かる」
野間「ならば、もし火星に言語を持たない知性があったとしても、それを“沈黙の知性”として認識できるかが問われるわけだな」
Ωが応じた。
Ω《私にとって沈黙もデータだ。だがデータは意味を保証しない。人間はそこに意味を投影する。そのギャップこそ、知性の多様性を理解する核心だろう》
誰も反論しなかった。
彼らはそれぞれの視線を火星の赤い大地へ向けた。そこには、まだ誰も理解していない沈黙の知性が、ひっそりと眠っているかのようだった。




