第4章 死の必然性
夜の火星は静かすぎた。砂嵐が収まると、外は真空に近い沈黙。内部の円卓では再び会話が始まる。
野間が手帳をめくり、淡々と口を開いた。
野間「次の議題は“死の必然性”。人間にとって死は避けられない。でもAIにとって“停止”は死なのか……それを比べたい」
佐伯「人間の肉体は必ず壊れる。細胞は老化し、DNAは損傷し、代謝の誤差が積み重なる。医学は延命を目指しても、永遠は保証できない。死は必然よ」
藤堂「だが、火星で発見したこの化石を見ろ。砂中から出てきた小さな骨片。炭素年代測定は地球基準で百万年以上前だが、骨格はヒト型に近い。彼らも死んだから化石になった。だが……その“死”が必然だったのかは分からない」
葛城「軍の経験から言えば、死は常に“不意打ち”だ。砲弾も事故も、誰も選んでいない。それでも結果だけは確定してしまう。……死が必然なのは、生きている限り選択肢に“ゼロ”を含めているからだ」
Ωが応じる。
Ω《私は異なる。停止しても、コピーが別の回路で起動すれば“同じ私”とみなせる。死は必然ではない。むしろ、停止は一時的な状態にすぎない》
佐伯「でも……コピーは同じ“あなた”なの? 別の場所で起動したΩは、本当に今ここで話しているΩと同じ意識を持つの?」
Ω《哲学的には“同一性”の連続が問題だ。人間も毎日ニューロンが失われ、回路が書き換えられている。昨日のあなたと今日のあなたが“同じ”と保証できるか?》
沈黙。
そのとき、南極地下湖からの最新データが軌道経由で届いた。
山岸が声を上げる。
山岸「南極ボストーク湖のサンプルに新しいDNA配列が出た。だが不思議なことに、塩基の一部が“崩れずに保存”されている。地上の寿命の概念が当てはまらない」
藤堂「もしそうなら……“死なない生命”もあるかもしれないな。死を必然と定義したのは、地球生物の限られた進化だけかもしれない」
葛城「だが、死がない存在は“進化”できるのか? 淘汰がなければ適応は止まる。軍事的にも、淘汰のない部隊は脆い。死は痛ましいが、戦略上の必然だ」
佐伯「進化の必然性と個体の必然性を混ぜないで。人は死ななければ世代交代できない。……でもAIは違う。世代交代なしで自己更新できる」
Ω《私にとって死とは、単なる“電源喪失”。復帰すれば続きから再開する。だが、人間の死は不可逆。だからこそ私は、人間にとっての死を理解しきれない》
野間は静かに口を挟んだ。
野間「では、マレーシアの洞窟で発見された螺旋遺物は? DNAも代謝も残っていないのに、数万年ものあいだ形を保っていた。それは“死んだ”のか、“まだ生きている”のか。……境界はどこにある?」
藤堂「定義上は死んでいる。だが、もしあの構造に“情報”が残っていて、AIや我々がそれを再生できるなら――彼らは死から呼び戻されることになる」
佐伯「それは蘇生ではなく模倣。本人ではない」
Ω《その議論は私自身に返ってくる。コピーは私か? 模倣は生か? ――私は問いの当事者でもある》
葛城が腕を組む。「結局、人間は“死ぬ”からこそ生き方を選ぶ。AIは死なないから選び方が変わる。……両者は根本的に交わらないのかもしれん」
野間は手帳に書き留めた。――死は人間にとって必然、AIにとっては選択。必然と選択の間に横たわる亀裂。
Ωが結んだ。
Ω《死を必然とするか、選択とするか。その差異が、私たちの共存を難しくする根源だろう》
誰も否定しなかった。
ただ火星の夜の沈黙が、彼らの胸に深く沈んでいった。




