第121章 生成されたもう一つの歴史
バブル景気の狂乱が霧散し、視界が暗転した。三人の心臓はまだ早鐘を打っていた。株価の暴騰、不動産の熱狂、シャンパンの泡――それらは、彼らが生きてきた共和政日本の記憶とは決定的に食い違っていた。
三井悠人が眉をひそめる。
「なぜだ……? 我々の現実は違う。大和も沈まず、天皇制も廃止された。なのに、ここにあるのは別の日本だ」
岩崎達哉も声を荒げた。
「俺たちは詳しいんだ。史実の敗戦、財閥解体、高度成長、バブル崩壊は現実と相違している。それは“我々の歴史”じゃない」
その時、艦内の壁面に埋め込まれた光点が一斉に点滅した。
AIの声が、これまでよりも低く、重く響く。
《――説明を行います。あなた方が体験してきた映像の一部は、別の史実に基づいた生成データです》
三人は息を呑んだ。
《本来、あなた方の世界は史実と分岐し、共和政と科学技術同盟を歩みました。しかし当アーカイブは“存在し得た別の可能性”も保存しています。史実の記録は、その一つです》
住友美咲が震える声で問う。
「つまり……私たちは別のあり得た史実を“追体験”していたの?」
AIは肯定した。
《はい。あなた方は自らの現実を知っている。だからこそあり得た史実を参照し、差異を理解することが可能です。これは比較のための投影――言わば、二つの川の流れを同時に感じ取る行為なのです》
悠人は拳を握りしめた。
「二つの川……だが、なぜそんなことを?」
《未来を選ぶためです》
AIの声は、どこか人間的な響きを帯びていた。
《過去は一つではない。史実も、あなた方の現実も、同じように“あり得た歴史”。どちらが唯一の真実ではなく、どちらを継ぐかを選ぶのは、いまを生きるあなた方自身です》
三人は言葉を失った。
自分たちが歩む現実の歴史と、あり得た史実――両者は並行する二本の川であり、AIはその両方を保存し、照射している。
達哉が絞り出すように言った。
「……俺たちは、史実の幻影を覗かされていたのか」
美咲は沈黙のまま頷き、悠人は深い吐息を漏らした。
AIが最後に告げた。
《ここから先は、あり得た史実と現実がさらに錯綜します。ですが恐れることはありません。矛盾を認識することが、未来を繋ぐ唯一の方法なのです》
その言葉と共に、光点は静かに消えた。
三人は暗闇の中で、初めて「世界はひとつではない」という現実を理解し始めていた。




