第120章 バブルの狂騒
視界がひときわ眩しい光に包まれた。
ネオンが溢れ、シャンパンの泡が弾け、株価の数字が天井知らずに跳ね上がっていく――時は1980年代後半、日本が「バブル経済」と呼ばれた狂騒に酔いしれていた。
AIの声が低く囁く。
《市民化した子孫たちも、この狂乱から逃れることはできませんでした。名は平凡に沈んでも、富と欲望は新たな形で人々を呑み込みました》
三井の視点 ― 金融の熱狂
三井悠人の目の前には、兜町の証券会社のフロアが広がった。
場立ちのディーラーが「買いだ!」「さらに上がるぞ!」と叫び、電話の受話器を両手で押さえた社員が必死に数字を追いかけている。
壁には株価チャートが掲げられ、赤い矢印は連日右肩上がり。
「三井系の不動産株、今が狙い目だ!」
「都心の土地は、世界で一番高い!」
喧騒の中、若いサラリーマンが目を輝かせて株券を握りしめる。だが彼は三井家の遠縁の一人で、祖先の“信用第一”の言葉など知らない。
「勝つか負けるか、それだけだ」
彼の額には汗が光り、目は数字に取り憑かれていた。
悠人は凍りつくような感覚に襲われた。
「信用よりも投機。祖先の築いた基盤は、いまや欲望に呑み込まれている……」
三菱の視点 ― 不動産の幻想
岩崎達哉の視界には、六本木の高層ビル建設現場が広がった。鉄骨が夜空に突き出し、巨大なクレーンが月明かりを背景に動いている。
現場監督は声を張り上げた。
「ここが完成すれば、ニューヨークの摩天楼にだって負けない!」
地上のモデルルームには行列ができ、投資家たちが次々と契約書にサインしていた。
「今なら倍の値で売れる」
「借金してでも買え。土地は絶対に値上がりする」
その中には、かつて岩崎家の血を引く者もいた。だが彼は祖先の“航路を切り開く”精神ではなく、「土地転がし」で利益を得ることに夢中だった。
達哉は苦々しい思いで呟いた。
「船で世界を繋いだ祖先の夢は、いまや土地の紙切れに換算されている……」
住友の視点 ― 技術の誇りと空洞化
住友美咲の視界は、大阪の証券取引所に移った。
化学や電機の株価が跳ね上がり、投資家は「日本の技術が世界を制す」と口々に叫んでいた。
住友系の研究所では、確かに新しい素材や半導体が開発され、世界に誇る成果を挙げていた。
だが、その研究員たちは連日のプレゼンに追われ、基礎研究の余裕を失いつつあった。
「成果をすぐに商品にせよ」「売上げを倍にしろ」
経営陣の要求に、若い研究員が疲弊していく。
美咲は心を痛めた。
「純度を追い求めた祖先の精神は、まだ研究所に残っている。だが、バブルの熱狂がその純粋さを削り取ろうとしている……」
三つの交差 ― 夜の街
視界は銀座のクラブに移った。
シャンデリアの下で高級スーツを纏った男たちがシャンパンを開け、金色の泡がグラスに踊る。
「株で三倍になった」「土地で十倍だ」
豪快な笑い声が響き、ホステスたちは笑顔でグラスを満たした。
同じ街の裏路地では、夜遅くまで働くサラリーマンが電柱に寄りかかり、吐息を白くしていた。
彼らは株や土地で儲けることなく、ただ「経済大国」の名の下で終電に追われていた。
AIの声が低く響いた。
《バブルの狂騒は、富を持つ者と持たざる者の差を拡大しました。財閥の末裔も市民も、同じ熱狂に呑み込まれ、やがて同じ絶望に沈んでいきます》
崩壊の兆し
1989年、大納会。証券取引所の鐘が鳴り、人々は万歳を叫んだ。株価は史上最高を記録し、誰もが明るい未来を信じていた。
だがその足元では、すでに土地価格の過熱と金融の歪みが臨界に達していた。銀行は融資を膨張させ、返済能力を無視した貸し出しが横行していた。
夜の街角で、一人の老人がため息をついた。かつて財閥の名を背負った彼は、新聞の株価欄を眺めて首を振った。
「これは、長くは続かない」
その声は群衆の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
次章への予兆
視界が暗転し、空虚なオフィス街の光景が浮かぶ。
ビルの窓は明かりを落とし、銀行の看板は青ざめた。
AIが告げる。
《次に訪れるのは崩壊と失われた時代。狂騒の代償は、世代を超えて背負わされることになります》
三人は肩を強ばらせ、来るべき冷たい時代の風を感じていた。




