第104章 2025年の青年
視界が開けた瞬間、青年は現実に引き戻された。
そこは戦艦大和の艦内、深海の静謐に包まれた人工知能アーカイブ室だった。椅子に座る自分の身体にはBMI装置が接続され、頭蓋の奥にわずかな電流が流れている。追体験してきた千数百年の記憶が、波のように胸に押し寄せていた。
彼は深く息を吐いた。
古代の祭祀国家、律令の繁栄、武家の台頭、南北朝の裂け目、江戸の幽閉、幕末の旗印、明治の創造、大正の自由と昭和の戦争、敗戦と共和政への転換、そして冷戦、バブル、停滞、グローバル化――。
すべてが彼の中で重なり合い、ひとつの巨大な流れとなっていた。
AIの声が柔らかく響く。
《あなたは、血統の物語を最後まで見届けました。では今、あなた自身はどう生きますか?》
青年は答えを急がなかった。
窓越しに深海の闇を見つめる。かつて神聖視され、制度化され、象徴化され、解体され、消費され、それでも記憶として残り続けた「血統」。それはもはや制度や旗ではなく、自分の内に眠る歴史の層だった。
「私は、国家の中心ではない。ただの一市民だ。だが、千年の記憶を受け継ぐ一人でもある」
その言葉が、胸の奥から自然に湧き上がった。
AIは静かに告げる。
《血統はもはや絶対の力ではありません。しかし“物語”として未来に繋げることはできる。あなたが語り、あなたが生きることで》
青年は頷いた。
自らの血筋を特権や呪縛としてではなく、学びと物語の資源として抱きしめる。それが、2025年を生きる自分の選択だった。
艦内の照明が徐々に明るさを取り戻す。機器の作動音が響き、彼のBMI接続は解除されていく。
額に残るかすかな温もりの中で、青年は立ち上がった。
ドアを開けると、同僚たちが待っていた。彼らにとって彼は特別な存在ではない。ただの研究員、ただの仲間だ。だが彼は心の奥で確かに知っていた。
――自分の歩みの背後には、千年の記憶がある。
青年は振り返り、AIアーカイブに一礼した。
「ありがとう。あなたのおかげで、私は自分の過去と未来を結び直せた」
そして、深海に潜む大和の心臓部を後にした。
艦の外では、2025年の荒れる国際情勢が彼を待っている。だが彼の心は、もはや揺るがなかった。
血統は消えない。それは旗でも鎖でもなく、私たちが生きるための物語だ。
その物語をどう語り継ぐかは、これからの世代の選択に委ねられている。
青年は歩み出した。
未来を担う市民として、そして歴史を抱えた一人の人間として。




