第102章 令和の現在
視界に現れたのは、2020年代の東京だった。高層ビルの谷間を人々が行き交い、スマートフォンの画面に視線を落とす。スクリーンにはSNSのタイムラインが流れ、政治ニュースもエンタメも同列に並んでいる。
青年はその情報の奔流に圧倒された。
AIが告げる。
《令和の現在、血統はもはや制度ではなく、アイデンティティの断片として再定義されています》
SNSには旧皇族の末裔を名乗るアカウントがあり、フォロワー数は数万人。歴史や文化を発信する投稿は称賛される一方で、「血統は時代遅れだ」との批判も同じ画面に並ぶ。
青年は胸に重さを感じた。
「ここでは、祖先の名もまた“いいね”の数で測られるのか」
場面が変わる。
教室で教師が子どもたちに問いかけている。
「君たちは、もし自分が特別な血筋に生まれたらどう思う?」
生徒たちは笑いながら「推し活みたい」「別に普通と同じでしょ」と答える。そこには畏敬も恐怖もない。血統はただの想像の材料になっていた。
AIが補足する。
《若い世代にとって、血統は“過去の物語”であり、“未来の素材”です。信仰ではなく、自己表現の一部に取り込まれているのです》
次に、観光の現場が映る。京都の寺院で、外国人観光客が「Royal Heritage Tour」に参加していた。ガイドは「かつての皇統の末裔がこの街に住んでいた」と説明し、観光客は熱心に耳を傾ける。
一方で、地元の若者は冷ややかに言う。
「歴史は大事だけど、俺たちの生活には関係ない」
青年は複雑な気持ちを抱いた。
「血統は今、外からはブランドとして求められ、中からは生活と切り離されているのか」
視界に大学のシンポジウムが映る。テーマは「ポスト国民国家におけるアイデンティティ」。研究者たちは、血統を「共有文化」「歴史的遺産」「記憶のインフラ」として議論していた。
青年は頷いた。
これはもはや制度ではない。血統は過去を解釈し、未来を想像するための「ツール」として扱われている。
AIが静かに告げる。
《令和の現在、人々は血統を信仰しません。だが、完全に忘れもしない。社会の多様性の中で、血統は“選択的アイデンティティ”として残っています》
青年の視界に、自分自身が映し出された。
旧皇族の末裔として生きる青年――その姿は、かつての神聖でも特権でもない。ただ一人の市民として、だが確かに「血の記憶」を背負っていた。
「私は、何を選ぶのか。祖先の物語を、どう継ぐのか」
街のスクリーンには、未来を象徴する広告が流れる。AI技術、再生エネルギー、多様な家族の形。そこに「血統」は登場しない。だが、背景には確かに「過去を持つ社会」の影が漂っていた。
視界が暗転し、AIが囁く。
《次にあなたが見るのは、近未来。血統が再び“拠り所”として問われるかもしれない時代です》
青年は深く息を吸い、拳を握った。
令和の現在は「選択の時代」。そして自分もまた、その選択の担い手であることを痛感していた。




