第100章 失われた三十年
視界に映ったのは、バブル崩壊後の東京の街並みだった。
ネオンは色あせ、かつて賑わった繁華街には空き店舗が目立つ。株価の暴落、地価の下落。新聞の見出しには「失われた十年」「不況」といった文字が並んでいる。
AIが囁く。
《ここからの三十年、血統はかつての“ブランド”から一転し、懐古と批判の対象へと変わっていきます》
青年の目の前に広がったのは、ワイドショーのテレビ画面だった。タレントが笑いを交えながら、旧皇族の末裔が経営する会社の失敗や、華やかな結婚と離婚を取り上げている。
スタジオの笑い声とともに、画面には「やはり特別な血は時代遅れか」とのテロップが流れていた。
青年は顔を歪めた。
「祖先はここまで“見世物”にされるのか」
だが同時に、別の声も流れてくる。雑誌の特集記事。
――「伝統の再評価」
――「忘れられた血統の教養」
古い邸宅が観光ガイドで紹介され、茶道や能楽の会で「旧家の血筋」が話題になる。
AIが冷静に補足する。
《人々は不況と停滞の中で、“失われた華”に憧れを抱きました。血統は同時に批判と懐古、相反する欲望の対象となったのです》
青年の視界は大学の教室に変わる。そこで講義をしていたのは、旧皇族の出身でありながら経済史を専門とする教授だった。
学生たちは熱心にメモを取り、質疑応答では鋭い議論が交わされている。だが、講義後の学生の一人が小声で呟く。
「やっぱり“元皇族”って言われると緊張するな」
青年の胸が痛んだ。
「努力して学問を積んでも、血筋の影は消えないのか」
場面はシンポジウムの壇上。旧皇族の一人が「日本文化と国際社会」をテーマに講演している。聴衆は真剣に耳を傾けるが、質疑応答で必ず出るのは「ご出身について」。血統は常に“話題性”として消費される。
AIが囁く。
《この三十年、血統は二つの顔を持ちました。批判と嘲笑、そして懐古と憧憬。その狭間で生きることを余儀なくされたのです》
青年の視界に、インターネットの画面が広がった。匿名掲示板、SNS、記事のコメント欄。
――「もう必要ない」
――「一市民として働けばいい」
――「やはり誇りだ」
――「文化の証人として残すべき」
賛否が入り乱れ、罵倒と称賛が同時に飛び交っている。
青年は頭を抱えた。
「血統は……ここで完全に分解されたのか?」
AIは静かに応える。
《いいえ。批判され、懐かしまれ、笑われ、称えられる。その多層性こそが、血統を“社会的な装置”として生かし続けたのです》
視界は再び東京の街へ。経済は停滞し、人々は出口を見失っていた。だが居酒屋のテレビでは、大河ドラマで古代天皇を描いた作品が放送され、観客は「血統の物語」に心を寄せている。
青年は気づいた。
「血統は、信じられていなくても、物語として生き続ける」
視界が暗転する。AIが囁く。
《次にあなたが目にするのは、グローバル化とポピュラーカルチャー。血統が“サブカルチャーと観光資源”へとさらに変貌する時代です》
青年は深く息を吐いた。
批判と懐古、矛盾した二つの眼差しの中で生き延びた血統。その先に待つのは、さらなる変形だった。




