第92章 幕末の動乱
視界を切り裂くように、轟音が響いた。青年の目の前に現れたのは、黒船の群れだった。浦賀沖、異国の蒸気船が白煙を吐きながら湾内に侵入してくる。江戸の漁師たちが岸辺に集まり、ただ恐怖の声を上げる。
AIが囁く。
《幕府の権威が揺らぎ、民衆は再び「朝廷」に正統を求め始めました。血統はここで再び“旗印”として呼び戻されるのです》
場面が切り替わる。京都御所。障子の向こうに、攘夷を唱える公家と志士たちの姿が見える。彼らは天皇の勅許を得ることで、自らの行動を正当化しようと必死になっていた。
「勅命こそが、この国を動かす」
その言葉は、青年の胸に深く突き刺さる。
江戸期、幽閉されていた象徴が、再び政治の武器として解き放たれた瞬間。
青年は震えを覚えた。
「血統は、権力を持たないからこそ利用されるのだ」。
御所の庭に集う志士たち。長州、薩摩の若者たちは熱に浮かされた目をして、ただ「尊王」を叫んでいる。
AIは冷静に解説する。
《尊王攘夷。その本質は「外国を排斥するための大義」ではなく、「幕府を倒すための大義」でした。天皇は、その旗印として再利用されたのです》
場面が変わり、鳥羽伏見の戦場が広がる。
夜明けの空に翻るのは、紅に染まった錦の御旗。薩摩・長州の兵がそれを仰ぎ見て声を上げる。
「天皇のために!」
その叫びは、まるで呪文のように兵を動かした。
青年の胸に戦慄が走った。
安徳天皇が壇ノ浦で沈んだときの光景が脳裏に蘇る。だが今や、その血統は再び兵を死地へと駆り立てる「旗」となっていた。
「血統は救済の光ではなく、戦の火種にもなる」。
AIが囁く。
《王政復古の大号令。天皇が再び国家の中心に置かれるとき、血統は“革命の正統”となったのです》
視界に現れたのは、1868年正月の御所。新政府樹立の詔が読み上げられる。武家政権は終わり、再び「天皇の世」が始まると宣言された。
青年はその瞬間、背筋に冷たいものを感じた。
権威を封じられていた存在が、一転して「国の最高権力」として蘇る。その劇的な変化は、血統の恐ろしい柔軟性を示していた。
御所の外では、民衆が「万歳」を叫び、志士たちが勝鬨を上げていた。だが、その歓声の裏には武力で倒れた者たちの血が流れている。
青年は問いかける。
「これは解放なのか、それとも再びの呪縛なのか……」
AIは答えなかった。代わりに、御簾の奥に佇む若き明治天皇の姿を映し出す。十代の少年に過ぎぬその眼差しに、青年は奇妙な重みを感じた。
《この少年の存在が、近代日本という新しい国家を象徴することになるのです》
やがて場面はゆっくりと暗転する。錦の御旗だけが赤い残像となって視界に焼き付いた。
AIの声が静かに告げる。
《次にあなたが目撃するのは、天皇が国家そのものと同一視される時代――明治国家の創造です》
青年は深く息を吐いた。幕末の熱狂の余韻が、胸にまだ燃え残っていた。
血統は幽閉から解き放たれ、再び光を放った。だがその光は、人を導くものか、それとも焼き尽くす炎か。答えはまだ出なかった。




