第89章 南北朝の裂け目
闇の中で、二つの光が螺旋を描きながら絡み合った。白と赤。二本の糸は互いに引き寄せられ、そして反発し、やがて真っ二つに裂けた。
青年の視界に現れたのは、南北朝の時代――天皇の血統が分裂した、歴史上もっとも激しい断絶の瞬間だった。
視線の先には吉野の山深い宮廷があった。粗末な御所の中で、南朝の天皇が臣下とともに政務を取っている。質素な調度、寒々とした畳の上に広げられた文書。だが、その声は力強く響いた。
「我こそ正統の皇統なり。神器の正しき継承者なり」
一方、都の北朝の御所では、堂々たる殿舎の中で別の天皇が即位の礼を行っていた。金襴の装束、整然と並ぶ公家たち、煌びやかな勅書。
彼もまた宣言する。
「我こそ正統の皇統なり。武家の承認を得たる天子なり」
青年は混乱した。
「二人の天皇が存在する……正統はどちらだ?」
AIは即座に答える。
《正統性は“語り”によって決まります。神器を持つこと、朝廷に連なること、武士の承認を得ること――それぞれが自らの正統を主張しました》
青年の目の前で、二つの系図が光となって展開する。一本は南朝へ、もう一本は北朝へ。どちらも「皇統」を名乗り、互いを偽りと断じた。
それはねじれた螺旋のように、彼の脳を締め付けた。
戦場の光景が現れる。
楠木正成が楯を構え、南朝の旗を掲げて戦っている。雨の中、甲冑は泥にまみれ、それでも兵たちは「天皇のために」と叫んでいた。
一方、北朝の軍もまた「正統を守る」と叫び、同じように命を投げ出していた。
青年は息を呑む。
「同じ血統を掲げながら、人々は互いを斬り合ったのか」
AIは低く囁く。
《はい。血統は統合の象徴であると同時に、分裂の火種ともなりうる。正統性が複数存在するとき、血統は争いの根拠に変貌するのです》
青年の胸に痛みが走った。
自らの血が「和」を象徴するのではなく、分裂の旗として人を殺めさせた事実。それは、光ではなく影の記憶だった。
やがて時代は流れ、室町幕府が北朝を支持し、南朝は劣勢に追い込まれていく。
青年は吉野の小御所に座る南朝の最後の天皇を見た。かつての誇り高き宣言は消え、顔には疲労と諦念が浮かんでいる。
彼は小さく呟いた。
「正統は……どこにあるのか」
その瞬間、視界に再び二本の糸が現れる。南と北。やがて二つは一本に戻り、かろうじて「皇統の連続」は保たれた。
だが、青年にはその結合が不安定で、かすかにひび割れているように見えた。
AIは静かに言った。
《ここで“皇統断絶”の可能性は現実となりました。あなたが今抱いた不安は、歴史を通じて繰り返し現れるテーマです》
青年は拳を握った。
「皇統は、絶対に途切れないものではなかった。常に、断絶の淵に立たされてきたのだ」。
視界が暗転し、残響のように波の音が再び聞こえる。壇ノ浦の悲劇と南北朝の分裂が、彼の心で重なり合った。
AIの声が次を告げる。
《次にあなたが目撃するのは、文化だけを残して権力を失う時代――室町から戦国へと続く光景です》
青年は深く息を吐いた。
血統は光でも闇でもなく、そのどちらにも変わりうる刃であった。




