第81章 《記録する艦と挑む艦》
東京湾に浮かぶ大和の内部は、いまや世界中の研究者が集う「記録の艦」となっていた。艦内のデジタルアーカイブ室には、国際機関の認定を受けた学者や学生が訪れ、かつての作戦映像や艦内日誌を閲覧していた。
ある朝、国際法学者の一団が来艦した。彼らの目当ては、冷戦期に行われた代理戦争での大和の活動記録だった。壁面に投影された映像には、東南アジアの河川を遡上する大和の姿が映し出され、砲撃命令と同時に響く艦内アラート音が記録されていた。
「ここにあるのは、勝利の映像ではない」
日本人研究員が解説した。
「砲声の背後に映る避難民、煙に包まれる村落――これらもまた、大和が保存した“記録”です」
黙って映像を見ていたドイツの学者が言葉を続けた。
「ニュールンベルク裁判の証言を思い出す。歴史は勝者が書くのではない。記録そのものが語るのだ」
艦内の空気は重くなった。だが誰も目を逸らさなかった。
一方、南方の種子島では、火星探査船YAMATOの最終訓練が進んでいた。クルーは6名。3人は日本人、残りは米・欧・アジアから選ばれた精鋭である。彼らは閉鎖環境シミュレーションで2年以上を過ごし、食料循環システムや心理耐久テストを繰り返してきた。
艦長の片桐は訓練の合間に記者の質問に答えた。
「なぜ艦名がYAMATOなのか?」
片桐は少し間を置き、こう答えた。
「東京湾にいる大和が記録を保存している。私たちのYAMATOは、その記録を携えて未来に進むための艦だ。人類が同じ過ちを繰り返さないよう、歴史と共に火星へ行く」
訓練施設の壁には、大和の46センチ砲の写真が飾られていた。乗員たちは出発前にアーカイブへ接続し、過去の戦争体験を共有するよう指示されていた。戦争を知らぬ世代が、過去の“体感”を持つことで、閉鎖環境下での対立や分断を避けるためである。
その頃、大和では市民向けの特別公開プログラムが行われていた。学生たちがBMIヘルメットを装着し、朝鮮戦争当時の砲撃シナリオを追体験する。砲声の轟き、艦内の緊張、指令室の怒号――すべてが鮮明に再現され、体験を終えた学生は深い沈黙の中に立ち尽くした。
「歴史は教科書ではなく、血の記憶だ」
引率の教師がそう語ると、生徒たちは頷いた。
同じ時間、種子島のYAMATOでは出発式の準備が進んでいた。整備員たちは最終点検を行い、広報官が演説文を確認していた。
やがて片桐艦長が壇上に立ち、集まった市民や記者に語りかけた。
「大和が記録した過去を、私たちは忘れません。だからこそYAMATOは未来へ挑むのです。人類が歩んだ記憶を携えて、新しい世界を切り拓く。これは日本だけでなく、人類全体の挑戦です」
その言葉に拍手が湧いた。記者の一人は記事にこう書き留めた。
〈東京湾に沈まぬ艦と、宇宙へ飛び立つ艦。同じ名を持つ二つのYAMATOは、記録と挑戦という異なる使命を背負いながら、人類の未来をつなぐ双子の象徴となった〉
夜。東京湾の大和の艦橋には、若い研究員が一人残っていた。サーバのLEDが規則正しく点滅し、まるで艦が呼吸しているかのようだった。彼は窓越しに南の空を見上げた。そこに火星を目指すもう一隻のYAMATOがいることを思いながら。
過去を記録する艦と、未来に挑む艦――二つのYAMATOは、いま確かに人類の進路を挟み込む両輪として存在していた。




