第82章:テニアンの暗影
有馬と秋月の報告が、大本営会議室に重くのしかかっていた。沖縄の戦線が奇跡的に停止したという朗報も、テニアン島に搬入された「円筒形の物体」、すなわち原子爆弾の凶報によって、瞬く間に打ち消された。
「秋月一等海佐…」東條英機陸軍大臣の声は、かすれていた。「テニアン島に持ち込まれたのは、その…原子爆弾だと申したな。それは、具体的にどのような兵器なのだ?そして、それがどのようにして、長崎と広島に投下されるのだ…」
秋月は、重い息を吐き出した。彼らの時代では、もはや教科書の常識となっている歴史の断片を、この時代の最高幹部に、いかに伝えればよいのか。
「閣下方、先ほど申し上げた原子爆弾には、主に二つの種類があります」秋月は、言葉を選びながら、しかし明瞭に語り始めた。「一つは、広島に投下された**『リトルボーイ』型と呼ばれるウラン235を用いた砲身方式の爆弾。そしてもう一つは、長崎に投下された『ファットマン』型**と呼ばれる、プルトニウム239を用いた爆縮方式の爆弾です。テニアン島に搬入されたとされる二つの物体は、その形状、そして製造工程の複雑さから見て、間違いなく後者の『ファットマン』型、プルトニウム爆弾であると推測されます」。
その言葉に、梅津美治郎陸軍参謀総長代理が身を乗り出した。「プルトニウム?ウラン?何のことだ、詳しく説明しろ!」
「はっ」秋月は、科学的な説明に移った。「ウラン235は、天然ウラン中に0.7%未満しか存在せず、その分離・濃縮には莫大な時間と資源を必要とします。電磁分離やガス拡散といった大規模な工場群を要し、一発分の高濃縮ウランを製造するだけでも、何百トンもの天然ウランと数千人規模の専門家が必要です。
実際、広島に投下されたリトルボーイ型は、その非効率性から一発しか製造されていません。
しかし、プルトニウム239は、原子炉で中性子捕獲によって生成され、その後化学的に再処理抽出が可能です。原料となる天然ウランから比較的容易に量産できる点が異なります。
我々の知識では、1945年7月時点で、すでにハンフォードの施設では8個分以上のプルトニウムがストックされており、以降は月産1発ペースでの増産が見込まれていました。
そのため、もし追加で原爆が製造されるとすれば、それは必ずプルトニウム型、すなわちファットマン型となるのです」。
秋月の説明は、彼らの理解をはるかに超えるものだったが、その言葉から滲み出る「量産性」という事実に、幹部たちの顔に新たな絶望が広がった。
「テニアン島では、まさにそのファットマン型の原子爆弾が、現在、組み立ての最終段階に入っているはずです」有馬が、重い口調で付け加えた。
「彼らは、ロスアラモス国立研究所から派遣された科学者チームをテニアン島に送り込み、現地で爆弾の組み立てを行っています。そこには、専用の組立ハンガーが建設され、極秘裏に作業が進められているのです」。