第62章 横須賀の巨艦
1945年秋、横須賀。港には、依然として大和の巨体がそびえていた。敗戦国日本の象徴でありながら、その威容は沈まぬまま残され、進駐した米軍にとっても奇異の存在だった。周囲の海面には小型艇が集まり、米海軍調査団の士官たちが艦内へと乗り込んでいく。
艦首から艦橋までを見上げた一人の士官が、驚嘆を隠せずに呟いた。
「これほどの巨艦を、よくも建造したものだ……」
その声に通訳が追いつかないうちに、別の技術将校が計算尺を手にして数字をはじく。
「主砲は46センチ。射程は四万メートルを超える。装甲は舷側で四一〇ミリ、甲板で二〇〇ミリ。正面からは我が艦の砲弾も弾かれるだろう」
調査団を率いるバーンズ大佐は、艦橋の鉄板を拳で叩き、硬い音を確かめた。
「このまま解体すれば資材は膨大だ。だが時間も金もかかる。保存するにしても、敗戦国にとっては重荷となるだろう」
日本側から同行していた旧海軍技術士官、小沢技監は静かに答えた。
「重荷かもしれません。しかし、この艦はただの兵器ではない。ここに残された技術、記憶、それは我が国の歴史そのものです」
その場に一瞬の沈黙が落ちた。だが、やがて一人の若い米海軍士官が小声でつぶやいた。彼の名はフレデリック・ロー中尉。会議の正式メンバーではなく、記録係として随行していた。
「この艦は……日本を守るよりも、世界のどこかで秩序を支える方がふさわしいのかもしれない」
通訳がその言葉を訳すと、場の空気がわずかに揺れた。バーンズ大佐は無言で頷き、議題を先へ進めたが、ロー中尉の一言は議事録にしっかりと残された。
艦内では細部の検証が続いていた。機関部は爆撃で一部損傷していたが、修復は可能と報告された。搭載機用の設備は撤去されていたが、燃料タンクの容積は他国艦を凌駕していた。
「この艦を残せば、東アジアでの米国の抑止力として使える」
そう提案する米士官もいた。だが、別の士官は首を振った。
「本土決戦用に造られた艦を、アメリカのために使う? それは日本人にとっては屈辱ではないか」
議論の渦中、小沢技監は冷や汗をかきながら計測に付き添っていた。心中でこう呟く。
「守るために造られた艦が、利用のために使われる……その日が来るのか」
港の外れ、復員兵の青年二人が大和を見上げていた。片方は手を握りしめ、吐き捨てるように言った。
「大和は俺たちを守るためにあったはずだ。それが今度は、どこの国を守るっていうんだ?」
友人は肩をすくめた。
「守るんじゃないさ。睨みを利かせるんだろう、世界に向けてな」
彼らの言葉は港を吹き抜ける秋風にかき消された。だが、近くの米軍トラックの荷台で耳にしていたロー中尉は、また手帳に一行書き込んだ。
〈日本人自身がまだ気づいていない。この艦は“敗者の記憶”から“秩序の象徴”へと変わろうとしている〉
数週間後、米海軍本部に送られた報告書には、こう記されていた。
〈大和は解体せず、改修・再利用の方向で検討する。目的は日本本土防衛ではなく、国際秩序の維持と極東安定に資すること〉
結論はまだ暫定的だった。しかし、この一文が後にワシントンでの議論を決定的に方向付けることになる。
夕暮れの横須賀。夕陽に照らされた大和の鋼鉄の船体は、赤く染まり、影を長く海に落としていた。その姿を見上げる子どもたちの瞳には、敗戦国の象徴ではなく、まだ名づけられぬ未来の巨人が映っていた。




