第53章 捕虜実験と免責 ― 罪を覆った取引
開廷の鐘が三度、鈍く響いた。
裁判長が口を開く。
「本章の審理は捕虜実験と免責である。戦時下で捕虜に行われた非人道的実験と、その責任が戦後にどのように処理されたかを問う」
検察官が冒頭陳述を行う。
「日本の七三一部隊における細菌実験、ドイツでの毒薬投与、イタリアでのガス実験。捕虜は戦闘力を失った人間であり、保護されるべき存在でした。にもかかわらず、彼らは研究材料として扱われたのです。そして驚くべきことに、戦後の一部研究成果は軍や研究機関に取り込まれ、責任は免責された」
証人として医学史の研究者が証言した。
「七三一部隊の資料は戦後、アメリカに渡りました。見返りに関係者は裁かれず、研究データは冷戦下の生物兵器開発に利用されたのです。これは『科学の成果』を口実にした司法取引でした」
傍聴席にどよめきが走る。
弁護人が反論する。
「だが戦後世界は冷戦に突入し、ソ連に対抗するためにあらゆるデータが必要とされた。その判断は“国家安全保障”の観点からやむを得なかったのでは?」
研究者はきっぱりと首を振った。
「科学的データは倫理に裏打ちされて初めて価値を持ちます。犠牲の上に築かれた研究は、成果であって成果ではありません。免責は被害者を二度殺したのです」
ここで検察官が補足する。
「捕虜実験は個人の逸脱ではなく、国家が計画し、軍が実行し、科学者が加担した共同犯罪です。そして免責は、その犯罪を隠蔽し、責任をあいまいにしました」
裁判長が厳しい声で言葉を重ねた。
「司法は真実を明らかにする場であるはずだ。だが戦後の免責は、司法そのものが政治に従属した例だ。この構造を直視せねばならない」
次に倫理学者が証言した。
「免責の罪は、単に加害者を逃がしただけではありません。“科学は人権より優先され得る”という前例を作ったのです。これは科学と倫理を引き裂き、後世の研究現場にも深い影を落としました」
新聞記者が速記をまとめ、記事の見出しを作成した。
> 「捕虜実験の罪と免責の影――科学と政治の取引」
> 医学史研究者は「研究資料が取引の対象になった」と証言。
> 倫理学者は「科学が人権を超えるという危険な前例」と指摘。
> 弁護側は“冷戦の必要性”を主張したが、裁判長は「司法の従属」と断じた。
傍聴席の一角で、若い研究者が静かに語った。
「研究のためなら人権を無視できるという論理は、今も形を変えて存在している気がする」
隣にいた年配の元捕虜が、震える声で答えた。
「我々は実験台にされた。戦後は誰も責任を取らなかった。それが一番つらい」
弁護人が最後に問いかけた。
「では、国家の安全保障と科学の発展を優先した判断を、全面的に否定するのですか?」
検察官は即座に答える。
「安全保障と発展を否定するのではない。だがそれを理由に人間を物として扱えば、科学も国家も正統性を失う。免責は短期的には国益を守ったかもしれないが、長期的には人類全体を危険に晒したのです」
裁判長が小槌を鳴らす。
「結論を述べる。捕虜実験は科学の名を借りた犯罪であり、その免責は司法の敗北であった。人類は再び“研究成果と引き換えに責任を隠す”誘惑に抗わねばならない」
退廷後、記者は記事の末尾にこう書き添えた。
> 「法廷は今日、捕虜実験と免責を“二重の犯罪”と認定した。科学と政治の取引は一時の利益をもたらしても、人類の良心を損なう。傍聴席には怒りと沈黙が混じり、裁きの重さを受け止めていた」




