第50章 ホロコースト ― 絶滅の制度
開廷の鐘が三度、重く響いた。
裁判長の声は張り詰めていた。
「本章の審理はホロコーストである。人類史上最も組織的かつ大規模な絶滅政策の責任を問う」
検察官が冒頭陳述を行った。
「ここで扱うのは、ユダヤ人六百万人を中心とする絶滅政策です。ガス室、強制収容所、鉄道輸送。これらは偶発的暴力ではなく、国家が制度として設計した大量殺戮でした」
証人台に立った歴史学者は深く息を吸い、語った。
「アウシュヴィッツやトレブリンカは単なる収容所ではありませんでした。到着した人々は“労働可能者”と“処刑対象”に分けられ、数時間以内に命を奪われました。産業規模の殺戮は、鉄道省、財務省、建築局といった行政機構が連携して成り立っていたのです」
傍聴席からは押し殺した嗚咽が漏れる。
弁護人が立ち上がる。
「しかし証拠の多くは戦後に集められた証言です。記憶の曖昧さや誇張の可能性を考慮すべきでは?」
学者はきっぱり答える。
「確かに記憶には揺らぎがあります。しかし鉄道の運行表、ガスの供給契約、官僚の書簡――物証が山ほど残っています。これは個人の証言ではなく、国家の記録なのです」
次に哲学者が証言する。
「ホロコーストは単なる大量殺戮ではありません。“人間から人間性を剥ぎ取る制度”でした。名前を番号に変え、髪を刈り、財産を奪い、働けなくなれば処分する。人を物として扱う思想が制度化されたのです」
裁判長が補足する。
「これは“人道に対する罪”の定義そのものだ。被害者を兵士でも敵国民でもなく、“生きているだけで不要”と断じた点に、絶滅政策の特異性がある」
検察官は声を強める。
「ホロコーストの恐ろしさは、暴力が“日常業務”に組み込まれたことです。鉄道職員は時刻表を整え、会計係は費用を計算し、医師は殺害に“適切”な方法を検討した。誰もが『自分は直接手を下していない』と感じながら、全員が殺戮に加担したのです」
新聞記者が速記をまとめ、夕刊の見出しに書き起こす。
> 「日常が絶滅を生んだ――法廷、ホロコーストの制度性を指摘」
> 歴史学者は「鉄道と官僚制が大量殺戮を可能にした」と証言。
> 哲学者は「人間性を剥奪する制度」と定義。
> 裁判長は「人道に対する罪の核心」と断じた。
> 会場には重苦しい沈黙と嗚咽が漂った。
傍聴席の一角で若い教師が隣人に語る。
「授業で“六百万人”と数字で教える。でも、今日聞いた話は数字じゃなく一人ひとりの顔を想像させた」
隣の老兵が深くうなずく。「兵士の死も重いが、子どもや老人が列車で運ばれて処刑されるのは……戦争の名でも説明できん」
弁護人が最後に問いかける。
「だが、なぜユダヤ人だったのか? 反ユダヤ主義はヨーロッパ社会に根を下ろしていた。ナチスだけに責任を押しつけられるのか?」
検察官は厳しい口調で答える。
「偏見は社会にあった。しかし“絶滅”を国家政策にしたのはナチス指導部です。社会の偏見を利用し、制度に組み込んだ時点で、それは一政党の思想ではなく国家犯罪となったのです」
裁判長が小槌を打ち、静かに言葉を結ぶ。
「結論を述べる。ホロコーストは、偏見の歴史と国家機構が結合し、人間性を制度的に否定した犯罪であった。人類がこれを忘れれば、同じ過ちが再び繰り返されるだろう」
退廷後、記者は記事の末尾にこう書き添えた。
> 「法廷は今日、ホロコーストを単なる歴史的悲劇ではなく、制度的犯罪として認定した。傍聴席を出る人々の足取りは重く、誰もが『忘れることこそ罪』という裁判長の言葉を胸に刻んでいた」




