第41章 ナチス国家機構 ― 官僚制の暴力
開廷の鐘が鳴ると、法廷の空気は一層引き締まった。
裁判長は議題を告げる。
「本章の審理はナチス国家機構。個人の命令がどう国家制度に溶け込み、暴力を制度化したかを問う」
検察官が立ち、証拠束を広げた。
「ここに示すのは、アウシュヴィッツへ向かう鉄道の運行表、予算の割当表、移送命令です。署名は一人の指導者だが、実行は数百の役所、数千の役人。これが“官僚制の暴力”です」
証人として政治学者が呼ばれた。
「ナチスは、命令を一度出せば下層が先を競って過剰に実行する“累進的従属”を制度化しました。誰もが責任を免れるために、より過激な政策を“上が望むだろう”と先取りして遂行したのです」
傍聴席の学生が手を挙げた。「つまり、命令がなくても皆が暴走した?」
学者はうなずく。
「はい。たとえば“ユダヤ人を排除せよ”という曖昧な指示があれば、ある役人は学校から排除し、別の役人は職場から追い出し、さらに別の役人は強制収容を提案する。こうして暴力は自動拡大したのです」
弁護人が立つ。
「ならば責任は分散し、指導者だけを裁くのは不公平では?」
検察官は即座に応じる。
「指導者は“枠組み”を作った。官僚制という水路を掘り、その上に“民族絶滅”という水を流し込んだ。水が溢れた責任を水路の設計者に問うのは当然です」
続いて歴史学者が証言した。
「ナチス国家は“法の外衣”をまとった無法でした。ニュルンベルク法典は“人種を理由に市民権を奪う”という不正義を合法の形にした。つまり、法律を悪の道具にしたのです」
裁判長が傍聴席に向けて補足する。
「ここでのポイントは、法は正義の保障ではなくなり得るということです。条文に書かれていても、それが人を殺す仕組みならば“法”の名を借りた犯罪に過ぎない」
このやりとりを記者が速記し、翌日の新聞に掲載された。
> 「法が罪を生む――ナチス国家機構を裁く」
> 法廷は今日、ナチス官僚制の責任を審理。政治学者は「曖昧な命令が過剰な暴力を誘発した」と証言。
> 歴史学者は「ニュルンベルク法典は合法の形を装った人種差別法」と批判。
> 会場の空気は「法と秩序は常に正義とは限らない」という重い事実を共有した。
傍聴席の一般市民が声を潜める。
「うちの会社もそうだ。上が“コスト削減”と言えば、誰も命令を出さなくても現場が無理を重ねる。戦争は極端になっただけで、構造は変わらないのかもしれないな」
隣の女性は頷き、「だからこそ頂点に責任を問わなければ、誰も止められないのよ」と答えた。
弁護人はなおも食い下がる。
「しかし現場の役人も、自らの判断で人を死地に送ったのでは?」
検察官が声を張る。
「だからこそ二重責任がある。現場は現場で責めを負う。しかし“仕組みを設計した者”が責任を免れることは決してない」
裁判長が小槌を鳴らす。
「本章の結論はこうだ。ナチス国家機構は、法と官僚制を組み合わせ、人類史上最も巨大な犯罪を“行政手続き”の形にした。その設計者と推進者は、象徴ではなく加害者である」
退廷のベルが鳴る。記者は記事の末尾にこう書き加えた。
> 「傍聴席を出た人々の顔には、驚きと恐怖が交錯していた。法も制度も、使い方次第で犯罪の道具になる。市民の誰もが、その歯車に組み込まれる可能性を否定できない――それが今日の法廷が突きつけた現実だった」




