第40章 ヒトラーと指導者責任
開廷の鐘が三度、鳴り響いた。東京・国際模擬法廷。壇上の裁判長は黒い法服の袖を正し、告げた。
「本章の審理は指導者責任だ。問うべきは、一人の意思が国家暴力をどこまで決定したかである」
検察官が立つ。
「ここで扱うのは総統という地位そのものだ。侵略戦争の計画、人道に対する罪、民族絶滅政策。これらは頂点の意思なくして成立しなかった」
最初に証人台に立った哲学者は白髪を撫でつけ、語り始めた。
「総統原理とは、指導者の言葉が法となる仕組みです。カント風に言えば“普遍化できない命令”を正義とした。つまり、『もし皆が同じことをしたら世界が破滅する』ような命令を国家の掟にしたのです」
傍聴席の学生が首をかしげる。「普遍化できない命令って?」
裁判長が補足した。「たとえば“気に入らない民族を殺せ”という命令だ。もし全ての国がそれを真似したら、人類は滅ぶだろう」
会場に低いざわめきが走った。
弁護人が立ち上がる。
「しかし国家は巨大機械だ。命令が現場に届くまで、官僚や軍人が動いた。凡庸な歯車の連鎖が真の原因では?」
哲学者は即答した。
「その歯車を一斉に回したのが頂点です。指導者は象徴ではなくエンジンだった」
国際法学者が証言に加わる。
「ニュールンベルク裁判が示したのは“計画と準備”です。戦闘そのものではなく、国家資源を暴力へ組み込んだ時点で首謀となる」
弁護人は畳みかける。「だが“人道に対する罪”は条文になかった。当時は存在しない法律を後から適用しているのでは?」
法学者は静かに首を振った。
「言葉は新しくとも、人を生きたまま焼くなという規範はすでにあった。条文がなくても、人類の常識を破った罪は消えません」
ここで、記録官の机に新聞記者がメモを走らせていた。夕刊の見出しはこう整えられる。
> 「指導者の命令は世界を動かす――法廷、ヒトラー責任を問う」
> 今日の公判では、哲学者が“普遍化できない命令”を例に挙げ、総統原理の倫理的破綻を強調した。
> 法学者は「条文がなくとも常識の禁止を破った」と証言。会場では「抽象ではなく現実だ」との声が相次いだ。
傍聴席の老婦人が隣人にささやく。
「私の息子も“万歳突撃”で死んだ。あれは上の人間の命令でしかなかったのよ」
若い会社員が答える。「それでも従った兵士も責められる。だが、選べなかったという証言は重い」
スクリーンには鉄道の時刻表や行政命令が映し出される。検察官が声を強める。
「これは演説ではない。署名一つで列車が走り、財政が割り当てられ、収容所が稼働する。これは象徴ではない、指揮そのものだ!」
弁護人は反論する。「戦争の混乱の中で、多くの現場判断があった。全てを頂点に帰すのは乱暴だ」
検察官「だが頂点が“鎖を閉じた”のだ。理念から制度、制度から行為へ。鎖の最後の環を嵌めた者が首謀者である!」
人類学者の証言が続く。
「収容所では番号で呼ばれ、髪を剃られ、名を奪われました。人間を“人称”から外す技術です。文化的に“人であること”を剥ぎ取ったのです」
傍聴席からため息が漏れる。
最後に元兵士が証言した。
「撃てば昇進、拒めば軍法会議。二つの選択肢があるようで、実際には一つしかなかった。だから私は加害者であり、同時に犠牲者だ。けれど私の引き金は一人を殺した。彼の命令は世界を殺した」
法廷の空気が凍りついた。裁判長が低く告げる。
「国家犯罪の首謀性は、署名や演説の単発ではない。理念から制度、制度から行為へ連なる鎖を閉じた時、首謀は成立する」
小槌が壇を打ち、審理は終わる。
記者は記事の最後に書き添えた。
> 「本日の法廷は、専門用語と生々しい証言をあざなうように重ね、指導者責任を“抽象”から“現実”へと引きずり出した。傍聴人の多くは帰路で沈黙していた。難しい議論の中で、ただ一つ明確になったのは――指導者は象徴ではなく、暴力を動かす装置そのものだったという事実である」




