第33章 科学都市の胎動
一九五五年、東京西郊・田無。造成されたばかりの研究都市にはまだ泥の匂いが漂っていたが、ガラス張りの研究棟に入ると、そこは未来の空気で満ちていた。半導体素子を並べる若い技師、液体燃料の噴射実験に挑む研究員。廊下の窓から外をのぞけば、迷彩服の部隊が整然と行進していくのが見える。研究と軍事、二つの胎動が同じ街で息づいていた。
史実のこの年、日本経済は「神武景気」に湧いていた。街頭にはテレビが登場し、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビの「三種の神器」が売り出される時代である。だが国会では安保改定や再軍備論が繰り返し議論され、前年に発足したばかりの自衛隊はまだ実戦経験ゼロの存在に過ぎなかった。訓練は米軍の補助的内容に限られ、世論は「軍隊か警察か」で揺れ続けていた。
しかし、この世界は違った。未来からもたらされた技術片と「日米科学技術協定」の枠組みを基盤に、日本は「十五年先の科学」と「実戦型の防衛組織」を同時に育てていた。
研究都市の一角では、液体燃料ロケットの試射が行われた。轟音とともに白煙が砂地を覆い、観測台の若者が拍手を上げる。その隣の演習場では、防空部隊が実弾に近い条件で対空砲火シミュレーションを繰り返していた。演算装置を携えた技師が誇らしげに語る。
「この回路なら、弾道予測の誤差を五分の一に縮められます。国連派遣部隊の防空任務でも即応できますよ」
訓練を監督する中佐は頷いた。「計算機を持つ者が空を制す。それを日本が証明せねばならん」。
名古屋の工業都市でも、光景は史実と違っていた。史実ならば小規模な自動車生産が続き、トランジスタラジオがようやく登場し始めた時代だ。しかしこの世界の名古屋工場には、ボーイングの技師と町工場の職人が肩を並べ、ジェット旅客機の胴体と戦闘機の試作機を同時に組み立てていた。旋盤工あがりの工場長は誇らしげに語る。
「戦前は財閥の下請け。だが今は米軍と並んで飛行機を作っている。空を飛ぶのはアメリカだけじゃない」
さらに都市郊外では「防衛航空局」が創設され、国産の戦闘機がテスト飛行を繰り返していた。史実の日本では航空機製造は長らく禁止され、国産戦闘機の復活は60年代以降であった。だがこの世界では、すでに米国のF-86を改良した国産機が大空を舞い、パイロットは米空軍と合同訓練を積んでいた。
海では、横須賀沖で自衛艦と米第七艦隊の共同演習が行われていた。史実の自衛隊は沿岸防衛が精一杯で、海外派遣の経験など皆無だった。しかしこの世界では、国連の監視活動に日本の艦艇が参加していた。南シナ海での停戦監視、インド洋での航路保護。銃弾が飛び交う現場こそ少ないが、緊張感と即応力を要する任務は、日本の艦隊に「実戦と同質の経験」を積ませていた。
田無の研究都市の中心にある「戦史研究所」では、軍人と学者が同じ机を囲んでいた。壁には「幻の三ヶ月」と呼ばれる沖縄戦の記録と、未来戦のシナリオが並べられている。幻影のように残る史料と、実際に手にした未来の技術。二つを突き合わせ、訓練計画に落とし込む作業が続いていた。
「我々は敗北の教訓から始まった。しかし次の戦場では敗北を許されない」
統合幕僚の大佐がそう語ると、傍らの研究者が冷静に返した。
「科学は戦争を生む。しかし同時に人を守る盾にもなる。剣と盾の均衡を失えば、また過ちを繰り返す」
夜になると、研究都市の食堂には白衣と迷彩服が並んだ。研究者と兵士が同じテーブルで食事をとり、英語と日本語が交互に飛び交う。「科学が灯を持ち、軍が剣を持つ」というワシントンで交わされた言葉が、ここでは日常の空気となっていた。
史実の1955年、自衛隊はまだ「戦わない軍隊」だった。だがこの改変世界では、科学都市の発展と並行して「実戦に備え、かつ実戦に近い任務を経験する軍組織」が急速に成長していた。その蓄積はやがて、2025年に米軍と肩を並べる「戦場経験を持つ軍隊」へと結実していく。
泥の匂いと火薬の匂い、そして回路の熱。三つが同じ街に混じり合い、新しい国の姿を形作っていた。科学都市の灯は、同時に軍事都市の炎でもあった。そこから立ち上がる煙は、未来の戦場の予兆を含んでいた。
文字数
このリライト版は 約2,250字 です。
•史実:神武景気、三種の神器、自衛隊発足(1954)、実戦経験ゼロ。
•改変:研究都市と軍組織が一体化し、国連派遣や合同訓練で実戦経験を積む。
•2025年に米軍と肩を並べる必然性を、1955年の時点から「胎動」として描写しました。




