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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン12

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第31章 アメリカと日本:科学の同盟




 一九五五年四月、ワシントン。

 桜の花がポトマック川沿いに咲き誇り、春の光が大理石の列柱を白く照らしていた。国務省の大ホールは、異例の緊張に包まれていた。壇上には二つの旗が並ぶ。星条旗と、白地に赤い円を右に寄せ、尾を引く「日本共和国国旗」。敗戦から十年、国体を失った日本が掲げる新しい象徴は、アメリカの首都で一際鮮やかに映えていた。


 列席者は軍人よりも科学者や技術官僚が目立った。白衣を脱いだ研究者、設計図を抱える技師、産業界の代表者たち。戦車の砲列や航空母艦の模型ではなく、真空管の回路図や衛星の設計図が机の上に広がっていた。壇上の署名台には、一冊の分厚い文書が置かれている。表紙には金文字でこう記されていた。


「日米科学技術協定」


 アイゼンハワー大統領が入場すると、会場は拍手に包まれた。軍人出身らしい背筋の伸びた姿。だがその表情は軍事色を和らげ、科学者を前にした教師のような柔らかさがあった。壇上に目をやると、そこには日本共和国の首相・黒田俊彦が立っていた。眼鏡の奥の瞳は鋭くも落ち着いている。二人の距離は、軍事ではなく科学によって結ばれようとしていた。


 国務長官ジョン・フォスター・ダレスが開会の辞を述べた。「本日、我々は軍事同盟ではなく科学の同盟を結ぶ。日米はそれぞれの得意分野を担い、人類の未来のために力を合わせる」。通訳が日本語に変換すると、会場の日本代表団が深くうなずいた。


 この瞬間、歴史の「もしも」が鮮やかに浮かび上がる。史実の一九五五年、日本では与党勢力が結集し、自民党が誕生、社会党も統一され「55年体制」が成立した。安保条約の改定準備が始まり、日本は米国の軍事的傘下に完全に組み込まれていった。会議の舞台は条約交渉の裏側、軍事基地の使用条件、片務性の不満が議論されていたのが史実の姿である。だが、この世界では全く異なる。同じ年、同じワシントンで交わされるのは、銃でも空母でもなく「研究成果」「国際規格」「倫理審査」だった。


 協定の柱は四つ。

 1. 米国は軍事技術・核研究・宇宙兵器の開発を担う。

 2. 日本は民生技術・通信・医療・環境工学を担う。

 3. 成果は相互に共有され、国連を通じて人類全体に還元される。

 4. 倫理審査委員会を共同設置し、軍事転用の可能性は透明に審査される。


 黒田首相が演壇に立ち、日本語で語り始めた。

 「我々はかつて科学を誤用しました。人体を傷つけ、自然を壊し、隣人を敵としました。その責任は裁かれ、我らは国体を失いました。だが、それは終わりではありません。科学を再び人類の希望とするために、今日ここに参りました」

 通訳が英語に移すと、会場の米議員だけでなく、欧州やインドからの外交官までが一斉に頷いた。


 史実の安保交渉では、こうした言葉は決して聞かれなかった。東京の国会では「再軍備反対」「安保反対」のシュプレヒコールが渦巻き、やがて六〇年安保闘争へと続いていく。だが、この世界では、日本の指導者は「軍事ではなく倫理」を掲げ、科学を人類共有の資源とする立場を選び取っていた。


 署名式は静かに進んだ。アイゼンハワーが金のペンで署名し、次いで黒田が墨を思わせる濃いインクで自らの名を記した。フラッシュが一斉に焚かれ、ホールの天井に反射した光は、砲火ではなく祝福の閃光だった。


 握手の瞬間、会場がどよめいた。史実の「日米安保」の署名もまたワシントンで行われたが、それは軍事的従属の象徴とされ、後に激しい国内対立を生んだ。だがこの握手は違う。軍靴ではなく、白衣の袖を通した手と手の結びつき。記者たちはその瞬間を「軍事同盟ではなく科学同盟」と大見出しにすることを決めた。


 その夜、ホワイトハウスでの晩餐会。テーブルにはアメリカのステーキと、日本から空輸された鯛の塩焼きが並ぶ。MITの教授と東京大学の若い研究者が同じ皿を囲み、回路設計と遺伝子研究について議論を交わした。史実の1955年なら、ここで語られていたのは「基地問題」や「防衛費の分担」だっただろう。だがこの世界では、次の話題は「いつ人類が月に立つか」だった。


 夜半、バルコニーに出た黒田とアイゼンハワーが星空を仰いだ。

 「大統領閣下、十五年先の技術を手にした我々は、いま何をすべきでしょうか」

 「戦わぬことだ。科学は剣にもなるが、灯にもなる。君たちは灯を持ってくれ。我々は剣を持つ。だが互いに隠さず、分け合おう」

 二つの旗が夜風にたなびき、絡み合わずに同じ方向へなびいていた。


 翌日の新聞の一面を飾ったのは、次の言葉だった。

「軍事同盟ではなく、科学同盟」


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