第24章 マニラ軍事法廷・山下裁判
法廷の朝は、紙の匂いと汗の塩で始まった。史実のマニラ、弾痕の残る壁の前で、検察官が地図を広げる。赤鉛筆の線が市街を縫い、橋、教会、病院、収容所に印が付く。そこに置かれる小さな旗は「目撃」と名づけられ、法廷は目撃の数だけ熱を帯びた。
改変世界の横浜港、白布のひさしの下では同じ地図が複写で掲げられ、海風にめくられぬよう四隅を真鍮の鋲が押さえた。判事の英語が通訳を経て日本語に変質するたび、言葉は角を丸め、幾分“儀式”の音色を帯びた。
検察は第一証人を呼ぶ。
「サンアンドレスで、白旗を掲げた。射撃は止まらなかった」
史実の法廷では、彼の指が弾かれた柱の傷をなぞるように震え、通訳が息を呑む。その震えが速記者の鉛筆に乗り移り、紙面に見えない波形を刻む。
一方の大和甲板では、同じ文言が抑揚少なく読み上げられる。群衆は静かに頷くが、頷きは胸の深部に落ち切らず、板目の冷たさに吸われる。痛みは届き、焼け跡は届かない。
被告席の山下が立つ。痩せた頬、折り畳まれた唇。
裁判長が問う。
「市街戦における虐殺・放火・強姦を、あなたは止め得たか」
山下は短く答える。
「私は、司令官として部下の行為に責任を負う」
史実の傍聴席でざわめきが起こる。「認めた」と受け取る者がいる。「詭弁だ」と吐き捨てる者もいる。
改変の甲板では、その一句が別の輪郭を帯びる。「責任を引き受ける」という日本語が、“潔さ”の手触りをまとうからだ。裁かれる言葉と讃えられる言葉が、同じ音節の中でぶつかり、ほどけない。
弁護人が進む。
「閣下の指揮系統は遮断されていた。通信は寸断され、海軍部隊や憲兵の独走が横行した。統制不能だったのです」
史実の判事は眼鏡を押し上げ、細く言う。
「統帥責任は、統制不能を口実に免れ得ない」
その一行は冷えた金属のように記録簿に置かれる。
大和の判事団は同じ条句を読み上げながら、一瞬の沈黙を挟む。海鳥の声が割り込む。条文の角がほんの少し、海風で丸くなる。
写真が出る。焦げた階段に残る掌、時間が止まった時計、布でくるまれた幼子。
史実の法廷では、それらが「論」を越えて「視覚」に変わる。論は反駁できるが、視覚は沈黙を強いる。
大和の甲板では、投影幕の白がまぶしく、像はやや薄い。人々は目を細める。像は届く、だが匂いは届かない。距離は視覚にすら匂いを混ぜ損ねる。
午後、弁護側は山下の行政命令を束ねた。掠奪厳禁、婦女子保護、戦闘地域の隔離——紙束は誠実の証拠のように見え、同時に無力の証拠でもあった。
「命令は発せられた。しかし、発せられた命令が命令として機能したか」
史実の裁判長が木槌を軽く打つ。
「それが問われている」
同じ木槌の音が、改変の甲板では微かに遅れて届く。波が音を抱え、ほんの一拍、返す。
最終陳述。山下は視線を上げない。
「私は軍人である。命に従い、敗を認め、いまは法に従う。戦の只中で、命令が形を保てぬ瞬間がある。その瞬間に死んだ者たちを、私は忘れない」
史実の法廷は、その言葉を「告白」と記す者も「詭弁」と書く者もいた。
大和の速記には「沈黙の後に」とだけ余白が残る。沈黙を文字化できないまま、記録官はペン先を止める。
評議は短い。史実のマニラでは、統帥責任の枠組みが判決を走らせた。
「被告山下奉文、死刑」
通訳の声が震えずに「絞首刑」を置く訓練は、幾度も行われていた。
改変世界では、同じ文言が甲板に落とされると、ざわめきは起きず、代わりに長い吐息が生まれた。「大和で死刑を言い渡された将軍」は、英雄と戦犯の二つ名を同時に得た。
夕暮れ、判決文の写しが箱に納められる。
ひとつは熱帯の湿気を吸い、ひとつは潮の匂いを吸う。
紙はそれぞれ別の波打ち方を覚え、後年の研究者は「紙の反り返りに、二つの正義の湿度が宿る」と記すだろう。
——こうして、法は一つの言葉で二通りに響き、山下奉文という名は、次章の「沈黙と死」へと運ばれていく。




