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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン12

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第17章 遺書



 十二月の寒気が、巣鴨の獄舎に忍び込んでいた。裸電球の下で、薄い机に便箋が置かれ、鉛筆の先が震えながら紙を削っていく。

 同じ頃、横浜港の大和艦内では、仮設の監獄区画に白布で囲われた小机が並べられていた。舷窓の外で波がきらめき、艦内灯が静かに揺れる。二つの机、二つの便箋。だが書かれる言葉は一人の生涯を総括するものだった。


 東条英機の筆跡は、軍人らしく角ばっていた。

 「一切の責任は我に在り。国民諸子、決して悲観することなかれ。日本は必ず再生す」

 市ヶ谷の巣鴨では、その文字が「加害者の居直り」と映った。瓦礫に立つ国民にとって、再生の言葉は遠すぎた。

 しかし大和艦内で同じ文が読み上げられると、意味はずれた。都市を焼かせなかった現実があるため、「再生」の言葉は祈りではなく現実の選択肢に見えた。彼の遺書は罪の告白か、それとも再生の旗印か。解釈は二つに裂けた。


 松井石根の筆跡は、震えるように柔らかかった。

 「南京にて罪なき人々が苦しみしこと、我が心を引き裂く。武人として守るべき仁義を全うできざりしは、我が生涯の痛恨なり」

 市ヶ谷では、これもまた「後知恵の悔恨」としか受け取られなかった。瓦礫の街で暮らす人々は、謝罪よりも断罪を望んでいた。

 大和艦内では、その文面が海風に乗って静かに読まれた。祈りのような筆跡は、罪を認めた者の真情として受け止められる者もいた。彼を罪人と見るか、祈る軍人と見るか。沈黙は続いたが、怒号は生まれなかった。


 広田弘毅の筆は、外交官らしく簡潔だった。

 「国民諸君に告ぐ。国を愛する思い一筋にあり。軽挙妄動を慎み、平和を以て世界に臨むべし」

 市ヶ谷では「何も語らぬ沈黙」と断じられた。死刑判決に相応しい証文として、彼の言葉は空虚に映った。

 だが大和艦内では、その簡潔さが「外交官の節度」と解された。死刑ではなく禁固を命じられた者の言葉は、沈黙ではなく道標のように響いた。


 遺書を書き終えた三人は、それぞれ別の部屋に引き取られた。

 市ヶ谷では紙が封筒に入れられ、検閲印が押され、家族のもとへ届けられる準備が進められた。

 大和では白布に包まれた便箋が艦内の金庫に収められ、のちに「見たことがある」「そんなものは存在しない」と証言が割れた。


 夜が更け、灯りが消える。

 市ヶ谷の巣鴨では、冷たい床に横たわる影が長く伸び、看守の靴音だけが規則正しく響いた。

 大和の艦内では、舷窓から月光が差し込み、波の音が便箋の罫線と重なり合うように響いた。


 翌朝、遺書は歴史の中に沈んでいく。

 市ヶ谷の遺書は公文書館に保存され、後世に公開される。

 大和の遺書は、誰もが「確かに読んだ」と言いながら、現物を見た者がほとんどいない。歴史の裂け目に沈み、幻のように漂い続けた。


 三人の最後の言葉は、記録と記憶の両方に刻まれた。

 瓦礫の街と沈まぬ艦。裸電球の下と艦内灯の下。

 同じ遺書が二つの姿を持ち、縄のように絡み合いながら、戦後の日本人の胸に刻まれていった。


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