表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン12

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1537/3612

第1章 《証言の空白》


 春先の曇天、東京郊外の閑静な住宅地。かつて軍都として栄えた面影は薄れ、戦後の復興住宅と畑が入り混じっていた。佐伯啓介は、背広に古びたトレンチコートを羽織り、駅から歩いて十五分ほどの道をたどっていた。手には防衛研究所の調査証明書と、分厚いファイル。


 彼が訪ねる先は、元戦艦大和の砲術長であった山名恒雄中佐の家だった。戦後は公職追放を受け、退職後は郊外で静かに暮らしているという。


 木造の家の玄関を叩くと、白髪の老人が姿を現した。痩せてはいたが、背筋はまだ真っ直ぐで、鋭い目つきが軍人の名残を伝えていた。


 「君が研究所の……佐伯君だったか」

 「はい。山名中佐、本日はお話を伺いたく参りました」


 居間に通されると、古い軍服や勲章が桐の箱に収められていた。老妻が茶を運び、山名は深い息を吐いた。


 「沖縄戦のことを、聞きたいんだろう」

 「はい。記録には――」

 佐伯はファイルを広げた。「大和は四月から六月にかけて、沖縄近海で米空母群と交戦したとあります。しかし、史実では大和は出撃しておらず、沈没もしていません。中佐は……この三ヶ月をご記憶でしょうか」


 山名の瞳が揺れた。しばらく沈黙の後、低い声が洩れた。

 「……覚えているとも。烈火の空だ。炎の雨が降り注ぎ、波間に死者が漂った。私はあの砲塔で、敵機を直に撃ち落とした」


 佐伯は前のめりになった。

 「具体的には?」


 山名は語り始めた。


 沖縄西方の海。四月十七日。米空母群が押し寄せ、数百機の艦載機が空を覆った。

 大和は主砲を高角に上げ、三式弾を撃ち放った。炸裂する破片が空を覆い、炎の帯が敵編隊を切り裂いた。

 同時に、味方の潜水艦――「そうりゅう」と名乗る新型が水面下で魚雷を放っていた。見たこともない流線形の艦体、信じられぬほど正確な索敵。大和の乗員は驚愕しつつも共闘した。


 そして、敵空母の一隻。その艦首に「Reagan」と記されていた。鋼鉄の巨艦、甲板からは次々に近代的な航空機が飛び立っていく。

 「私は確かに見た。Reaganという艦名をな」


 佐伯の背筋に寒気が走った。


 「やはり記録どおり……」

 「だがな」山名は目を細めた。「私はその戦いを覚えているのに、他の乗員は皆“何もなかった”と言う。私の部下だった者も、生き残った砲員も、誰も覚えていないのだ」


 居間の奥からもう一人、痩せた男が現れた。通信科の石倉上等兵である。山名のもとに時折顔を出していた。

 「私も……覚えています」石倉は震える声で言った。「あの時、“Reagan”と打電したのは、私の指です。暗号符号は間違いなく送信した。紙も残っているでしょう」

 佐伯は頷いた。「はい、通信記録に残っています」


 しかし二人の証言は孤立していた。


 数日後、佐伯は他の大和生還者数名を訪ね歩いた。

 ある者は呉での整備任務を語り、またある者は「出撃の準備はしたが、そのまま停泊して終戦を迎えた」と答えた。

 「戦った記憶? いや、そんなことはない。沖縄には行っていないはずだ」

 「大和は最後まで港にいた」


 証言は一様に曖昧で、戦闘を語る者は皆無だった。


 五月、研究所で行われた非公式の座談会。佐伯は山名と石倉を招き、他の元乗員と同席させた。

 「我々は戦った!」山名は声を張った。「炎の空を、敵艦を、確かにこの目で見た!」

 だが、隣に座る元整備兵は苦笑し、首を振った。

 「中佐、夢を見たんじゃないですか。私たちは出撃さえしていませんよ」

 別の士官も同調する。「大和が沈まなかったのは、戦わなかったからだ。港に留まったからこそ残ったんだ」


 山名の拳が震えた。「では、この詳報は何だ! 私の署名入りだぞ!」

 だが彼らは紙に目もくれず、「戦後に誰かが書いたんでしょう」と言い放った。


 居間に重苦しい沈黙が落ちた。


 会の後、山名は佐伯にだけ呟いた。

 「君は信じてくれるか」

 佐伯は真剣に頷いた。「記録は嘘をつきません。問題は、なぜ記憶が消えているのかです」

 「……それを解き明かさねばならん」


 その夜、佐伯は研究所で一人、暗号紙片を机に広げた。確かに「Reagan」「Soryu」の符号が並んでいる。

 記録と記憶――。

 なぜこれほどまでに乖離しているのか。


 紙の上の符号が、まるで別の世界から届いたメッセージのように見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ