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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン12

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第0章 《戦史資料の矛盾》



 戦後十年が経とうとしていた。

 東京市ヶ谷に設置された防衛研究所の一角、まだ戦後の埃と湿気の匂いが残る資料庫は、鉄製の棚に山と積まれた旧海軍文書で埋め尽くされていた。紙は黄ばみ、墨はかすれ、時には鼠にかじられた跡すらある。だが、その一枚一枚が、国家の運命を左右した過去を封じ込めていた。


 佐伯啓介、二十八歳。敗戦を少年として体験し、戦後教育を受けた世代の新鋭研究官だった。彼は「沖縄戦関係」の資料整理を担当させられていた。もっとも、沖縄戦といっても、この世界では「大規模上陸戦」は起きていない。米軍が南西諸島に接近したところで終戦に至り、本土決戦も原爆投下も起こらなかったからだ。


 沖縄が「陥落しなかった戦場」として語り継がれる一方で、なぜ戦闘が中途半端に終息したのかは、今も多くの研究者を悩ませていた。


 その日の午後、佐伯は埃を被った木箱を開けた。そこには「大和作戦詳報」「第一遊撃部隊通信記録」と墨書された厚い綴じ紐のファイルが収められていた。

 思わず息を呑む。史実上、大和は出撃命令を受けたこともなく、終戦まで呉軍港に係留されていたはずだ。戦後処理の過程で一度も海に出ず、巨大な「使われなかった戦艦」として解体に回されたと理解されている。それなのに、なぜ「作戦詳報」なるものが存在するのか。


 ページを繰ると、そこには衝撃的な記述が並んでいた。


 ――「四月十七日、沖縄本島西方海域ニ於テ敵空母群ト交戦」

 ――「味方潜水艦“そうりゅう”、敵空母“Reagan”ト交戦」

 ――「五月二日、敵航空隊百五十機来襲、我方大和直撃弾数発、然レドモ航行ニ支障ナシ」


 佐伯の指先が震えた。

 “そうりゅう”? 海軍の潜水艦名簿にそんな名はない。戦中の命名規則から外れているし、戦後の自衛隊の潜水艦に似ている。

 “Reagan”? 米海軍の記録にそんな艦名は存在しない。むしろアメリカの現職政治家の姓に近い。


 さらにページを繰ると、詳細な戦闘行動表が現れた。艦隊の座標、交戦時刻、撃墜機数、被弾状況。すべて几帳面に書き込まれ、現場で逐一記録された痕跡を示している。筆跡は当時の士官のものと一致していた。


 佐伯は目を疑った。

 史実上、大和は港に停泊したまま動かず、沈没すらしていない。にもかかわらず、この文書には「沖縄での二ヶ月間の海空戦」が刻まれている。しかもそれは、沖縄が陥落せず、米軍が本土に迫らず、原爆も落とされなかったという“結果”と整合しているのだ。


 「まさか……」

 佐伯は独り言を洩らした。


 翌日、上司の吉岡主任に報告した。吉岡は旧海軍出身で、敗戦後に研究所に再雇用された古参である。

 「バカを言うな。そんなものは戦後に誰かが書き加えた作り物だ」

 吉岡は吐き捨てた。

 「記録上、大和は出撃などしておらん。だから沈んでもいない。その一点で歴史は確定しているんだ」


 だが佐伯は反論した。

 「筆跡は当時の士官と一致します。紙質も戦中期のものです。暗号符号も、後年の自衛隊でしか使われていないパターンが混ざっているんです」


 吉岡は煙草を灰皿に押しつけ、「そんなはずはない」と繰り返した。


 その夜、佐伯は一人資料庫に残り、膨大な電信紙片を読み返した。そこには“Reagan”“Soryu”という単語が繰り返し現れ、時刻と座標が正確に記されている。まるで現代の作戦日誌のような緻密さ。


 「記録は残っている……だが、誰も覚えていない」

 佐伯の胸を、不気味な寒気が満たした。


 数週間後、佐伯は米国から取り寄せた連合軍側の戦史資料と突き合わせを行った。そこには、確かに「沖縄近海での哨戒、艦載機出撃、対艦戦闘」の断片的な報告があった。

 ただし、アメリカ側は「敵主力艦に決定的打撃を与えた」と主張しつつ、艦名を記していない。損害報告は膨大で、百機以上の航空機が未帰還となっていた。だが、不思議なことに、勝利宣言も戦果確認もされていなかった。


 さらに奇妙な痕跡があった。米海軍の内部文書に、一度だけ「Reagan」という艦名が記されていたのである。しかも文書の日付は1945年春、まだレーガンという人物が政治家ですらなかった時期だ。


 佐伯は震える手で紙を閉じた。

 「日米双方の記録に“Reagan”が残っている……」


 もしこれが事実ならば――。


 佐伯は研究所の同僚に打ち明けたが、誰も相手にしなかった。

 「妄想だ」「誤記だ」「戦後に書き換えられただけだ」

 論理的な反論はなく、ただ信じたくないという態度だけが返ってきた。


 彼は孤独を抱えたまま調査を続け、ついに決定的な証拠を手にした。

 それは電信記録の束の中に混じっていた、一枚の暗号解読紙である。そこには「Soryu:発射管損傷、浮上不能」と打たれた後、「味方艦大和、護衛継続」と書かれていた。


 大和は確かに海上で戦っていた。未来から迷い込んだ艦艇と共に。


 夜の研究所。薄暗い蛍光灯の下で佐伯は独り言を呟いた。

 「出撃しなかったはずの大和が、戦った。

  沖縄は陥落せず、原爆も落とされなかった。

  だが、その戦いを誰も覚えていない。

  記録にだけ刻まれた“幻の三ヶ月”……」


 紙を閉じると、指先に戦慄が走った。

 歴史は確かに変わっている。それを証明するのは記録だけであり、記憶は沈黙を守っていた。


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