第99章 月面基地での異常報告
ドライチャンバーの奥、ランタンの光に包まれたテントの中で、アリヤ博士は衛星通信端末を操作していた。
通信速度は遅い。だが、国際宇宙探査ネットワークのデータベースに接続できれば、比較に足る資料が手に入るはずだった。
数分後、彼女は低い声で言った。
「……アクセスが通ったわ。未公開の資料だけれど、私たちのプロジェクトは特例で許可されている。」
スクリーンに映し出されたのは、月面地下シェルター「アルテミス・ベース」で収集された地層試料のレポートだった。
探査ローバーが掘削したコアサンプルの顕微鏡写真。そこに写っていたのは、乾燥した堆積物の中に混ざる微細な生体化石——胞子状の微生物化石の殻だった。
しかし注目すべきはその表面だ。
薄く、だが確かに六角結晶のパターンが浮き上がっている。地球で見た骨の結晶と酷似していた。
スーザンが目を凝らした。
「……まさか。月は地球と全く異なる環境よ。大気も水もないのに、どうして同じ結晶が?」
博士はページをスクロールさせた。
報告書の一節にはこう記されていた。
“六角格子状の構造は、既知の鉱物組成とは一致せず。形態は有機体の表層変化に依存している可能性。”
マーカスが低く息を吐いた。
「ならば“自然鉱物説”は崩れる。地球の洞窟に沈着した単なる鉱物結晶ではない。地球と月、環境がまるで違うのに同じ構造が出るなら……そこには共通の“入力要因”がある。」
ラファエルが即座に反応した。
「進化の触媒かもしれない!」
彼の声は洞窟の壁に反響した。
「考えてみてくれ。大地溝帯の骨、大腿骨の結晶は歩行と関係していた。ワンダーワークの肋骨は呼吸。ここブルー・チャンバーでは歯根や頭蓋基部。そして月面では微生物の殻だ。つまり、“生体の機能転換点”に作用する何かが、地球でも月でも働いたんだ!」
佐久間は首をかしげながら、手元の骨片をライトに透かした。
「でも、どうやって? 宇宙から飛んできた粒子が関わってるのか? それとももっと普遍的な……エネルギーみたいなものなのか。」
アリヤ博士は考え込むように言った。
「可能性は二つ。一つは、地球外からの微小隕石や宇宙線が生体に影響を与え、共通の結晶を形成させた。もう一つは、もっと根源的な要因——生命そのものの“情報構造”に関わる何か。」
スーザンは眉を寄せた。
「でも、月面の化石がいつの時代のものか、まだはっきりしていないでしょう? それに、生命の痕跡そのものが月に存在していたという点も、まだ論争の的よ。」
「だからこそ未公開なのよ。」博士は答えた。
「公式には“非生物的堆積構造”とされている。でも顕微鏡レベルで見れば、これは間違いなく生物殻。そこに結晶が付着していた。」
ラファエルはテーブルを叩いた。
「これで三地点だ! アフリカ、南極、そして月。地球上の進化的節目と、月面の異常が同じパターンを示すなんて、偶然で片付けられるか!」
マーカスが冷たく言い返す。
「だが証拠はまだ断片だ。お前の言う“触媒”が何かを特定できなければ、ただの思いつきにすぎん。」
佐久間は黙って結晶に触れないように骨を見つめ、ぼそりとつぶやいた。
「もし本当に“触媒”だとしたら……それは進化だけじゃなく、退化にも作用するんじゃないか?」
その言葉に場が静まり返った。
水滴の音が洞窟の奥から響く。
美佳はカメラを覗きながら、小声で言った。
「ファインダー越しだと、この結晶は単なる模様じゃない。“構造体”に見えるんです。規則的で、でも生物の形に沿っていて……。まるで設計図の断片みたいに。」
アリヤ博士は深くうなずいた。
「その視点は重要ね。鉱物学でも生物学でも説明しきれない。だが“構造体”として見るなら、新しい理論を立てられるかもしれない。」
スーザンが低く結論づけた。
「少なくとも一つ確かに言えることがある。結晶は環境に依存していない。地球と月という、全く異なる舞台に共通して現れる。それは、生命の内側に働く力が関与しているということよ。」
マーカスが短く言葉を継いだ。
「つまり……“外部入力”だ。」
チームは互いの顔を見た。
その言葉はただの仮説ではなく、これまでの遠征全体を通じて浮かび上がった重い結論に聞こえた。
ランタンの光が骨片とタブレットのスクリーンを同時に照らす。
地球の闇と月の静寂が、不思議な重なりをもってそこに浮かび上がっていた。




