第98章 アフリカ大地溝帯の事例との比較
ドライチャンバーの湿った空気の中で、隊員たちは息をひそめながら骨片を覗き込んでいた。
アリヤ博士がタブレットをケースから取り出し、バッテリー残量を確認すると、慎重に操作して論文のPDFを呼び出した。画面には見慣れた図版が浮かび上がる。
「ここを見てください。」
博士はスクリーンを皆に示した。そこには、アフリカ大地溝帯で出土した初期ホモ属――ホモ・ハビリスとされる化石の解析写真が並んでいた。
大腿骨の関節面、ちょうど股関節のボール状の部分に、微細な六角結晶が放射状に沈着している。
「この化石では、結晶は歩行に関わる部位に集中していました。」
アリヤ博士の声は淡々としていたが、その意味は重かった。
「二足歩行の安定性を獲得した初期ホモ属にとって、ここは進化的に最も負荷がかかる部分。結晶は“歩行の転換点”を記録しているのではないかと考えられています。」
佐久間遼が眉をひそめ、画面を覗き込む。
「つまり、歩き始めた痕跡ってことか……。この印が、進化の“歩行の証拠”なのか。」
スーザン・チャンが頷き、手元のノートにメモを書き込んだ。
「ワンダーワーク洞窟の燃焼骨片でも、似たパターンが報告されていたわ。」
そう言って博士がスライドを切り替える。そこには、南アフリカ・ワンダーワーク洞窟で見つかった肋骨の写真が映し出された。炭化した骨の表面に、六角結晶が点在している。
「こちらは呼吸に関わる部位です。火の使用と関連づけて議論されています。」
博士は続ける。
「燃焼により酸素供給が増え、肺の活動に新しい負荷がかかった。それが結晶の沈着に繋がったのではないか、と。」
ラファエルが目を輝かせて前のめりになる。
「じゃあつまり……!」
彼は手を振りながら言葉を探す。
「結晶はただの鉱物じゃなく、“進化のハイライト”に出るってことか。歩行、呼吸……次は発声や言語も関わるかもしれない!」
「発声?」佐久間が顔を向ける。
ラファエルはうなずいた。
「たとえば舌骨や声道の周囲に結晶が集中していれば、それは言葉を操る能力が芽生えた痕跡になるかもしれない。もちろん、まだ仮説にすぎないが。」
マーカスは腕を組み、冷静に言い返した。
「だが、因果関係は証明されていない。ただ負荷の強い場所に堆積しやすいだけかもしれん。」
その硬質な声に、場の熱気が少し冷やされた。
しかしアリヤ博士は否定しなかった。
「確かに、まだ仮説です。ただ、アフリカ大地溝帯、ワンダーワーク、そして今このマレーシアのブルー・チャンバー。三つの事例を重ねると、偶然では片づけられない規則性が見えてきます。」
スーザンが指を立てた。
「つまり、結晶は“身体の進化的転換点”に現れる。歩行、呼吸、発声……人類が新しい段階に進むたび、その負荷を刻むように出現する。」
その言葉に、一瞬誰もが沈黙した。
洞窟の闇の中で、過去数百万年の進化が一筋の線として繋がったように感じられたからだ。
沈黙を破ったのは、美佳だった。
彼女はカメラを覗き込みながら、小さくつぶやいた。
「レンズ越しに見ると……この結晶、まるで“地図”みたいに見えるんです。」
皆が振り返った。美佳は自分の言葉に驚いたように笑みをこぼした。
「ランダムな模様じゃなくて、どこかに導くような配置に見える。大腿骨では“歩くための道”、肋骨では“呼吸のリズム”……そんな風に。」
ラファエルが即座に反応した。
「そうだ!まるで進化の“ランドマーク”だ。地図が地形を示すように、結晶は進化の節目を示している!」
マーカスは首を振った。
「詩的すぎるな。だが……確かに構造的な秩序はある。私もそれは否定できん。」
アリヤ博士はスクリーンを閉じ、目の前の骨を見つめた。
「地図か、構造体か。それはまだ分からない。だが確かなのは、ここにもアフリカと同じ“パターン”が現れていること。そしてそれは、人類史の連続性を示している。」
ランタンの光が、再び結晶に反射して淡く光った。
その輝きは、ただの鉱物ではなく、遥かな進化の軌跡を刻む道標のように思われた。




