第97章 結晶の付着部位 ― 骨のどこに現れるのか
洞窟奥のドライチャンバーは、わずかな空気の揺らぎと滴る水音に満ちていた。テントに張られたLEDランタンの光が、暗黒の天井にまで届かず、湿った石灰岩の壁を淡く照らす。その中心に、今まさに人類史を揺るがす「証拠」が広げられていた。
石灰質の堆積に覆われた骨の断片。それは腕の骨、頭蓋骨の破片、歯根がついた下顎の一部など、いくつものパーツに分かれていた。防水ケースに収めて持ち帰られたそれらを、隊員たちは膝を寄せ合って覗き込んでいた。
「ライトをもう少し低くして。」
アリヤ博士が声をかけ、井上美佳がカメラ用のリングライトを角度を変えて当てる。すると、骨の表面に微細な六角形のパターンが浮かび上がった。光を反射して浮き上がる模様は、泥の粒ではなく、明らかに結晶体の幾何学だった。
マーカスが呼吸を整え、顕微鏡カメラのレンズを慎重に固定する。スクリーンに映し出された拡大像に、全員の目が吸い寄せられた。
「……関節部だ。」
画面には、肘関節にあたる部位の骨表面が映し出されていた。滑らかな関節窩の縁に沿って、六角結晶が列を成すように沈着している。まるで軟骨と骨が擦れ合う場所に、規則的な“印”が刻まれたかのようだった。
次に、頭蓋骨の基部。後頭骨の内側、頸椎と接する部分にライトを当てると、同じように虹色の輝きが散らばっている。
「ここもだ……。」佐久間遼が息を呑んだ。「重心を支えるところじゃないか。」
彼は直感的に理解した。体を最も酷使する場所に、結晶が現れているのではないか、と。
さらに下顎の歯根部。歯列の裏側、歯槽骨の表面にまで結晶が点在していた。咀嚼の圧力が集中する領域だ。
「歯根にまで……。」スーザン・チャンが低くつぶやいた。「偶然にしては説明がつかないわね。」
アリヤ博士はノートに素早く記録しながら言葉を続けた。
「仮説ですが……進化の過程で“使用頻度が高い部位”に選択的に沈着している可能性があります。たとえば関節、頭蓋基部、歯根。いずれも機能的に負荷が集中する部位です。」
彼女の声は確信に近かった。
「待て。」マーカスが口を挟む。「鉱物沈着なら、地下水の流れや堆積環境に依存するはずだ。骨の特定部位に集中的に付着する理由は何だ?」
スーザンが顎に手を当て、顕微鏡映像を指さす。
「もしかすると、これは生体内で代謝と連動した“成長痕跡”かもしれない。カルシウムやリン酸塩の沈着が骨代謝と関係するように、未知の鉱物が体内で選択的に沈着した可能性がある。死後の堆積ではなく、生前から形成が始まっていたのでは?」
その言葉に、場の空気が一気に張り詰めた。もしそれが本当なら、この結晶は単なる外部環境の産物ではなく、「生命活動の一部」として刻まれた可能性がある。
佐久間は腕を組み、低い声でつぶやいた。
「つまり……使い込まれた部分に“印”が残るってことか。歩いた跡が地面に残るように。」
彼の言葉は科学的表現からは遠いが、その直感は全員の心に刺さった。生体が動き、生き、負荷を受けた証が、結晶として残されたのかもしれない。
ラファエルが興奮を隠せず、身を乗り出す。
「もしそれが本当なら、これは“進化の記録媒体”だ!骨の中に、身体の使い方や環境適応が結晶として刻まれているんだ!」
だがマーカスは冷ややかに言い返す。
「まだ早い。証拠は限定的だ。だが……確かに、これは単なる堆積とは違う。」
井上美佳はそのやり取りを静かにカメラに収めていた。レンズ越しに見える結晶の規則性は、単なる模様ではなく、“構造体”として浮かび上がっていた。彼女は小さくつぶやいた。
「カメラ越しだと、ランダムじゃなくて秩序が見える……まるで骨そのものが、情報を持っているみたい。」
ランタンの光が結晶に反射し、暗闇の中でわずかに虹色の粒が瞬いた。
洞窟の奥で数十万年を経てもなお残り続ける“印”。
それは人類史のどの段階で、どんな意味を持って刻まれたのか。
答えはまだ誰にも分からなかった。
しかし全員が理解していた。
――この結晶は、骨という器官そのものと深く結びついている。
そしてその存在は、人類進化の理解を根底から変える可能性を秘めている。




