第86章 第三サンプ突破。
――水中はすぐに冷たく、重い。
ライトの光はわずか十メートル先で濁りに飲まれる。
視界は悪く、ラインだけが生還の道しるべだった。
先頭の佐久間が狭窄部に突入した。岩の隙間は人ひとりがぎりぎり通れるほどで、タンクが岩肌を擦る。
シルトが舞い上がり、一瞬で前も後ろも暗黒になった。
「落ち着け……触覚でラインを確かめろ。」
心の中で繰り返し、彼は指先でタッチノットをなぞりながら前進した。
後方のラファエルが小さな吸引装置を抱えていた。
「ここでサンプルを採れば……」と一瞬思ったが、すぐにマーカスの冷たい視線が背中に突き刺さる。
「今は進むことだけだ。」
彼は装置を諦め、ただ前進に集中した。
深度計が60メートルを示した。
呼吸はリズムを保っているはずなのに、胸が重く、時間感覚が溶けていく。
一分なのか十分なのか、もう分からない。
ただ、人工呼吸音と心臓の鼓動が闇の中で異様に大きく響いていた。
やがて視界がわずかに開けた。
佐久間が先に進み、手を伸ばして岩を払いのける。
そこに現れたのは、水中に漂う巨大な空間の入口だった。
水が静まり返り、ライトが天井を照らすと、そこは大聖堂のように広がっていた。
幅は数十メートル、高さは推定で二十メートル以上。
しかも、遠くの暗闇にはまだ続きがある。
「……これだ。」
マスク越しに佐久間が呟いた。
その瞬間、隊員たちは恐怖を超えた畏怖を感じていた。
人類がまだ誰も足を踏み入れたことのない巨大空間。
それは彼らの目の前に、静かに、しかし圧倒的な存在感をもって広がっていた。
だが同時に、マーカスは腕時計を指差し、厳しく合図した。
「残圧を確認しろ。帰還時間を超えるな。」
彼の冷徹な判断が、探検と生還の境界線を引いていた。
未知の空間は確かにそこにあった。
だが、その奥へ進むには、さらなる準備とリスクを背負わねばならない。
隊員たちは互いに目を合わせた。
水中の暗黒の中で、その視線だけが言葉以上に雄弁だった。
――「我々は、ここまで来た。」
そして静かに、彼らはドライチャンバーへの帰路についた。
巨大な空間は、まだ闇の奥で彼らを待ち続けてい




