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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン11

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第82章 言葉の痕跡



洞窟の奥、ランプの光に包まれた小さなチャンバー。水滴が岩を伝い、一定のリズムで滴り落ちる。隊員たちは発掘を終え、湿った石の上にマットを敷き、簡単な食事を取っていた。湯を沸かす金属の音が響く中、井上美佳がふと口を開いた。


「ねえ……言葉って、化石から分かるものなんですか?」


その問いに、皆が手を止めた。発見した骨と石器を囲んでの議論は続いてきたが、「言葉」というテーマはまだ触れられていなかった。


アリヤ博士は少し考えてから答えた。

「直接的には残りません。でも痕跡はあります。たとえば舌骨。これは声帯を支える小さな骨で、現生人類と同じ形を持つ化石がネアンデルタールからも見つかっている。つまり彼らも複雑な発声が可能だった可能性が高いのです。」


スーザンが補足する。

「さらに、頭蓋骨の形から声道の空間を推測できる。サピエンスは喉頭の位置が低く、広い音域を持つ。ネアンデルタールも同程度の声道を持っていたとされるわ。」


ラファエルが手を組み、少し興奮気味に口を挟んだ。

「脳容積の痕跡も重要だ。ブローカ野やウェルニッケ野と呼ばれる領域に対応する部分が、ネアンデルタールにも発達していた。だから“言葉を持たなかった”という古い説は否定されつつある。」


美佳はカメラを下げ、眉を寄せた。

「じゃあ、もし彼らが言葉を持っていたなら……どうしてサピエンスだけが広がったの?」


静寂。ランプの光が揺らぎ、骨と石器の影が壁に伸びた。


アリヤ博士は答える前に、壁に光を当てた。石灰岩の壁は滑らかで、ところどころに鍾乳石が垂れ下がっている。

「言葉だけでは不十分だったのかもしれません。重要なのは“記号”です。サピエンスは言葉を越えて、絵や彫刻、装飾に意味を与えた。記号は記憶を越えて伝わり、社会を広域に繋いだ。」


スーザンが壁を見つめながら呟く。

「洞窟壁画。フランスやスペインの旧石器時代のものね。ネアンデルタールの遺跡にも顔料があった痕跡はあるけれど、サピエンスほど体系化された“記号文化”は確認されていない。」


ラファエルは火を見つめたまま微笑した。

「つまり、音声言語は彼らも持っていたかもしれない。でも象徴を共有する能力で差がついた。数万年の間に、その差が決定的になった。」


マーカスが低く呟いた。

「結局、言葉は記録されない。骨に残るのは痕跡だけ。だが記号は石や壁に刻まれる。だから今の我々が知れるのは“残された記号”の側面だけだ。」


美佳はカメラを構え直し、壁を見上げた。

「でも、この洞窟の壁には何も描かれていない。」


ランプの光に照らされた灰色の壁は、ただ沈黙していた。無数の世代が通り過ぎたかもしれない空間に、絵も刻印も残されていない。その「空白」がかえって彼女たちの心に重くのしかかった。


佐久間が静かに言った。

「ここにも人はいたはずだ。声を出し、言葉を交わし、狩りの計画を立て、仲間を弔った。だがその声は、今はもう何も残していない。」


アリヤ博士はその言葉に頷いた。

「だから私たちは骨を、石を、痕跡を読み解くしかない。言葉そのものは化石にならない。けれど“空白”さえも証拠になる。この洞窟の沈黙が、言葉の歴史を語っているのです。」


しばし、全員が黙り込んだ。ランプの光が揺らぎ、洞窟の壁に映る影が互いに交わり、消えては浮かんだ。


誰もが感じていた。

——ここには確かに声があった。数万年前の闇の中で、笑い、囁き、祈り、命令した声があった。だがそれは今、滴る水音にかき消され、永遠に取り戻せない。


美佳はファインダーを覗き込みながら、心の中で呟いた。

「残らない言葉を、どうすれば残せるんだろう。」


その問いは誰の胸にも突き刺さり、洞窟の暗闇に飲み込まれていった。


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