第68章 ホモ属の拡散と限界
ランプの火がわずかに揺れ、洞窟の壁に隊員たちの影を長く伸ばしていた。
ドライチャンバーの湿った空気は、静けさと圧迫感を同時に与えてくる。外界から隔絶されたこの空間は、まるで数十万年前の時代に閉じ込められたようだった。
骨と石器は、布で包まれたまま中央のケースに安置されている。その前で、アリヤ博士が口を開いた。
「私たちは、ホモ・エレクトスがここまで来た理由を考えました。では次に、“他のヒト属”について整理しましょう。比較することで、この発見の意味が浮かび上がります。」
佐久間遼が膝を抱え、声を低くした。
「まずはホモ・ハビリスだな。名前の通り“器用なヒト”。だが、道具を持っていたとしても、身体が小さくて脆かった。アフリカの外で生き延びるには力不足だったんだ。」
彼の言葉にスーザン・チャンが頷く。
「そう。彼らの石器はオルドワン型。割った石片をそのまま使う程度の単純なもの。狩猟よりは採集向きだったはずです。道具はあっても、氷期の寒冷や広大な草原に適応できなかった。」
ラファエル・オルティスが手を挙げ、声を弾ませる。
「対照的に、ホモ・エレクトスは全く違う!火を使い、石器もアシュール型に進化させた。両面を整形した手斧は、肉を切り裂き、木を削り、骨を砕ける万能道具だった。彼らはまさに最初の“冒険者”。アジアにも、ヨーロッパにも足を踏み入れた。」
井上美佳はカメラを膝に置き、静かにメモをとった。
「つまり、この骨はエレクトスの“世界進出”の証拠になるかもしれない、ということですね。」
「だが成功は一時的だった。」アリヤ博士が補足する。
「エレクトスは長く生き延びたが、やがて姿を消した。彼らは基盤を築いたけれど、最後まで進化を完遂できなかった。」
その言葉に、場の空気が少し重くなった。
やや沈黙が続いた後、スーザンが口を開く。
「ネアンデルタールはどうでしょう。彼らはヨーロッパに適応した。寒冷地に強く、頑丈な体格で狩猟を得意とした。でも、その適応が裏目に出たとも言える。気候が変わったとき、柔軟性を失った。」
ラファエルが続ける。
「しかも領域は狭かった。西ユーラシアの森と草原に限定され、氷期と間氷期の狭間で押しつぶされた。」
「デニソワは?」井上が問いかける。
アリヤ博士が説明した。
「中央アジアやシベリア、さらにチベット高地の洞窟で痕跡が見つかっています。高地の低酸素環境に適応し、遺伝子の一部は今もチベット人に残っている。つまり、彼らは環境適応に長けていたが、数そのものが少なかった。」
佐久間が思わず呟く。
「つまり、どの属も、どの種も……結局は限界を越えられなかったんだな。」
その時、マーカス・ケルナーが静かに顔を上げた。
ランプの光に照らされた彼の表情は険しく、声は低く抑えられていた。
「……だが結局、皆絶滅した。」
その言葉は鋭く響き、洞窟の壁に反響した。
彼の声は単なる科学的事実を告げただけではない。
外界から切り離されたこの暗闇の中では、その言葉が異様に重く響き、隊員たちの胸に突き刺さった。
ラファエルが口を結び、スーザンはノートを閉じた。
アリヤ博士は長く息を吐き、骨の眠るケースを見つめた。
「ええ、確かに……絶滅しました。けれど、彼らの痕跡が残っている。それが、いま私たちをここへ導いているのです。」




