表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン11

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1495/3599

第53章 文化と倫理の議論


夜のジャングルは、昼間の喧騒とは別の顔を見せていた。湿った空気の中に無数の虫の声が重なり合い、時折、猿の遠吠えが森の奥から響く。ベースキャンプの焚き火の周囲では、隊員たちが輪になって腰を下ろしていた。炎の赤い揺らぎが顔を照らし、光と影が交互に浮かび上がる。


井上美佳のカメラが、その場面を静かに記録していた。普段なら無口なマーカスでさえ、焚き火の前では言葉を選んでいるように見えた。火のはぜる音が、これから始まる会話の前触れのように耳に届く。


「……発見物を、どう扱うか。」

最初に口を開いたのは、アリヤ・ハサン博士だった。彼女は焚き火の向こうで真剣な眼差しを向けながら言葉を継いだ。

「化石や骨は科学にとって計り知れない財産です。しかし同時に、文化と信仰を無視して持ち去ることは、侵略行為に等しい。特にこの洞窟が“聖域”と呼ばれている以上、慎重さが必要です。」


ラファエルが眉をひそめた。

「けれど、時間は待ってくれない。もし結晶痕跡を持つ骨が出てきたら、それは人類史の根幹を揺るがす発見だ。湿潤な環境に長く放置すれば、データは失われる。」


「わかる。」佐久間遼が短く応じた。焚き火の炎に照らされた横顔は硬い。

「俺たちダイバーにとって、最優先は“生還”だ。だが、発見現場が危険地帯であれば、骨や遺物の処置は迅速に判断しなければならない。持ち帰るか、その場で記録だけ残すか……。迷っている余裕はない。」


スーザン・チャンが静かに首を振った。

「でも、現地の文化を軽視すれば、我々は研究者ではなく略奪者になってしまうわ。地質的に貴重な洞窟を損なえば、二度と修復できない。科学的欲求と倫理の間で、線を引かなければならない。」


焚き火がパチパチと音を立て、沈黙が一同を包んだ。


その時、輪の外から遠慮がちに声がした。

「……先祖の骨を持ち出すことは、呪いを招く。」

声の主は、キャンプの雑務を手伝っている青年、アミルだった。村長の甥で、今回ポーターとして同行している。20歳そこそこの彼は、火に照らされた瞳を真剣に輝かせていた。

「小さい頃から聞かされてきました。洞窟は“戻らぬ者の穴”で、死者の魂が眠る場所だと。もし骨を持ち出せば、村に災いが降る。……それが、僕らの伝承です。」


その言葉に、隊員たちは息を呑んだ。科学の言葉では片付けられない重さが、そこにはあった。


アリヤ博士は静かにうなずいた。

「アミル、あなたの言葉は尊重します。私たちは科学者である前に、この土地の訪問者ですから。」


しかし、ラファエルが反論するように身を乗り出した。

「だが、世界中で同じような葛藤はあったはずだ。ペルーのナスカでも、南アフリカの洞窟でも。科学が人類全体に資するからこそ、文化的タブーを超えて研究が行われてきた。」


マーカスが低く遮った。

「だがその結果、どれほどの対立と不信を生んだ? 我々が今ここで結論を急げば、同じ轍を踏む。」


井上美佳がカメラを下ろし、珍しく自分の意見を口にした。

「記録者の立場から言わせてもらうと……“持ち出すこと”よりも、“どう残すか”が重要だと思います。データは複製できる。写真も映像も三重に保存できる。だが、骨を一度動かせば、元の姿は永遠に失われる。」


焚き火の火が強く燃え上がり、誰もがその光を見つめた。


長い沈黙のあと、アリヤ博士が結論を示した。

「では、こうしましょう。発見物は必ず現地に報告し、移送は国際協議後に行う。私たちが勝手に持ち出すことはしない。その代わり、全てを詳細に記録し、研究の種を未来に残す。」


佐久間がゆっくりとうなずいた。

「危険地帯での迅速判断は俺に任せてもらう。ただし“持ち帰らない”という原則は尊重する。」


ラファエルは肩を落としたが、やがて苦笑した。

「科学者にとっては歯がゆい決断だが……理解した。」


マーカスは短く付け加えた。

「倫理を軽んじれば、調査自体が続行不可能になる。それが現実だ。」


焚き火を囲む輪に、静かな合意が広がった。

アミルは深く頭を下げ、安堵の表情を浮かべた。


夜の森の奥から、再び猿の遠吠えが響いた。それはまるで、洞窟に眠る“誰か”が彼らの議論を聞き届けたかのように、低く長く続いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ