第48章 現地到着 ― 村との交渉
舗装道路が途切れ、赤土の一本道に入ると、車体は大きく揺れ始めた。密林の木々が窓を覆い、湿気を帯びた風が室内に入り込む。バンの荷台には銀色のシリンダーや防水ケースがびっしり詰め込まれており、走るたびに鈍い金属音が響いた。
「ここからが本当の始まりだな。」
佐久間遼が前席でつぶやく。汗で濡れたシャツを気にも留めず、窓外の鬱蒼とした樹々をじっと見ていた。
やがて道が開け、茅葺き屋根の家々が点在する小さな集落が現れた。子どもたちが駆け寄り、見慣れぬ車を興味深そうに取り囲む。老人たちは少し離れたところから静かに見守っている。
村の中央にある集会所で、隊員たちは村長と対面した。白髪で痩せた老人は、深い皺に刻まれた表情を崩さず、じっと彼らを見つめていた。隣には地元の学校教師が通訳として控えている。
アリヤ・ハサン博士が一歩前に出て、ゆっくりと挨拶をした。
「我々は学術調査のために、この土地の洞窟に入らせていただきたいと願っています。人類の歴史を理解する手掛かりが眠っている可能性があります。」
通訳が言葉を伝えると、村長は目を細め、低い声で応えた。
「その洞窟は“底なしの井戸”。我らの祖先の魂が宿る場所だ。入った者は戻らぬ。そこに足を踏み入れることは、我々にとって禁忌だ。」
会場の空気が一瞬重くなる。
マーカス・ケルナーが腕を組み、硬い表情を崩さない。佐久間も黙って聞いていた。
アリヤ博士は深く頷き、慎重に言葉を重ねた。
「私たちは洞窟を“侵す”ためではなく、“学ぶ”ために入ります。発見されたものは国外に持ち出さず、この地の博物館に寄託します。すべての記録も、村と共有します。」
村長はしばらく黙り、やがて隣の老人と短く言葉を交わした。会場の隅では若者たちがざわめき、期待と不安が入り混じった視線を向けていた。
「……条件がある。」村長が静かに言った。
「我らの若者数名を、お前たちの隊に加えよ。荷を運び、道を案内する。彼らが“見届け人”となることで、祖霊の怒りを鎮める。」
アリヤ博士は一瞬考え、すぐに答えた。
「承知しました。私たちにとっても、地元の支援は不可欠です。」
こうして、数名の青年がポーターとして調査隊に加わることが決まった。彼らは屈強で、森を知り尽くした足取りを持っていた。食料や水の輸送に加え、緊急時の連絡役としても頼もしい存在となる。
交渉が終わりに近づいた頃、年配の女性が前に進み出て、震える声で語り始めた。
「昔、この村の若者が三人、挑戦したことがある。洞窟の水面に飛び込み、暗闇の奥へ進んだ。だが、戻ってきたのは一人だけ。その者も目を失い、言葉を失った。以来、誰も近づかなくなった。」
村人たちが一斉にうつむく。
「戻らぬ者の穴」——その言葉は、科学者たちの心にも重く響いた。
ラファエル・オルティスは唇をかみ、ノートに走り書きをした。
「伝承は誇張だとしても、“酸素欠乏”か“強い逆流”があったはずだ。」
しかし、心の奥底では彼もまた、不気味な冷気を感じていた。
井上美佳は、その場の表情を一枚一枚記録していた。村長の硬い目、若者の不安げな顔、博士の毅然とした姿勢。ファインダー越しに見る光景は、すでにひとつの物語を形作っていた。
最後に村長が口を開いた。
「洞窟は聖域だ。しかし、お前たちが本当に敬意を払うなら、道を開こう。だが忘れるな。そこは“闇の底”だ。」
調査隊の面々は静かに頷いた。
科学と信仰、希望と恐怖。その境界線の上に、彼らの遠征は立ち上がろうとしていた。




