第15章 枝の途絶、枝の継承
先ほどの学会討論は、火星の凍結群集をめぐって断絶と継続の議論が交錯し、結論の出ないまま熱を帯びて終わった。だが、彼の胸に残ったのは科学的な勝敗ではなかった。もっと深い、言葉にならない衝撃だった。
――大繁栄は、滅びと隣り合わせ。
ふと脳裏に浮かんだのは、かつて彼が幻視した東京壊滅の光景だった。霞ヶ関の高層ビルが崩れ落ち、炎と海水が都市を呑み込み、数百万の生活の痕跡が一瞬で灰に変わったあの光景。人類の繁栄の象徴である都市が、環境変化の前ではあまりに脆弱だったことを、彼は目の当たりにした。
今、火星の標本を目にしたことで、幻視の意味が別の角度から照らし返される。地球の歴史を見ても同じだ。ペルム紀末の大絶滅で、三葉虫は完全に消え去った。白亜紀末の隕石衝突で、恐竜は鳥類を残して姿を消した。どれほど大繁栄を誇った種も、環境の激変が訪れれば、あっけなく剪定される。
野間は記録に打ち込む。
――大絶滅とは、生命の樹の大枝を剪定し、残された小枝に未来を託す行為である。
火星で見つかった凍結群集は、その比喩を具現化していた。地球では剪定され、断絶したはずの枝が、宇宙の別の場所で静かに残されていたのだ。彼らは地球の生態系からは退場した。しかし、存在そのものが「別の未来」を証明している。
もし火星で継続していたなら――。
地球で「断絶」と見えた進化史も、宇宙スケールで見れば「連続」の一部にすぎないのではないか。
なぜ生き延びたのか。なぜ滅んだのか。
その二つの問いが人類史をも照らしていた。
東京の幻視で見た炎と瓦礫。あの都市もまた、ある時代の「繁栄の枝」であり、環境と歴史の激変によって剪定される運命にあった。だが、その滅びの中から人々が再び立ち上がり、次の未来を託すこともまた、生命史の必然なのだ。
野間は指を止め、しばしスクリーンの暗闇を見つめた。幻視の中で、炎に包まれた都市の背後に、ふと火星の氷に眠る群集が重なる。二つの光景は異なる惑星で、異なる時代で起きた現象だ。だが「枝の途絶と枝の継承」という構図においては、同じ物語を繰り返していた。
――我々は祖先の影を見たのか。それとも独立した進化の実験を目撃したのか。




