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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン11

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第6章 説明できる遺伝子、説明途中の遺伝子



 火星ラボの照明は低く抑えられ、顕微鏡の下で光学像が静かに浮かんでいた。氷床から採取された群集は、先カンブリア紀の化石図鑑から切り抜いたような単純さで、ただ周期的に伸縮を繰り返していた。


 野間通信士が観察データを見つめながら、ふと声を漏らした。

 「僕ら人間のDNAには……過去じゃ説明できないものって、ないんでしょうか?」


 藤堂科学主任は端末から目を離さずに答える。

 「基本的には全部説明できる。人類ゲノムの塩基配列は、他の霊長類とほとんど一致している。チンパンジーと比べても98%以上同じだ。進化史の文脈で説明できない部分はない。ただし――」


 藤堂は少し言葉を切った。

 「ただし“説明がまだ途中”という領域はある」


 佐伯医官が身を乗り出す。「途中?」


 藤堂は顕微鏡像を指差す。「見ろ、この群集は単純だろう。でも単純であることは完全であることと同義ではない。人間の遺伝子もそうだ。原理は分かっているが、細部の仕組みは霧の中だ」


 ――


 軌道上の《YAMATO》。地球から送られてきた学術報告を開きながら、鶴見技術曹長が声を上げた。

 「例えば HARs。Human Accelerated Regions、人間だけで異常に速く変化したDNA領域だ。特にHAR1は胎児期の脳皮質に関わる。だがなぜここだけが加速したのか、分かっていない」


 山岸准尉が航法計算から顔を上げる。「SRGAP2やARHGAP11Bもそうだな。人間の系統でコピーが増え、シナプスや新皮質が急拡大した。理屈は説明できる。でも、なぜ脳だけが集中的に進化したのか――まだ説明はできない」


 鶴見は苦笑する。「まるで数式の解き方は分かるのに、どうしてその式を選んだかが分からない状態だな」


 南條艦長は短くまとめた。「重要なのは“進化の枠を外れているわけではない”ということだ。まだ答えを探している途中なんだ」


 ――


 地球の国際学会。壇上の研究者がスクリーンを操作し、DNA配列のグラフを映し出した。


 学者A:「我々のゲノムには、ネアンデルタールやデニソワ人から受け継いだ痕跡も含まれています。免疫や皮膚、寒冷地への適応に関わる遺伝子です。直系祖先だけでなく、交雑の結果が今の人類を形作っているのです」


 学者B:「さらにオーファン遺伝子、孤児遺伝子と呼ばれるものがあります。他の生物に相同が見つからない数百の遺伝子です。多くは非コード領域から新規に発生したか、既存遺伝子が急速に変化した結果と考えられています。ここもまだ議論中です」


 学者C:「しばしば“説明できないDNAは宇宙由来ではないか”などと議論されます。しかし科学的には、未解明なのは仕組みであって原理ではありません。進化の枠組みを超える証拠は、今のところ一つもないのです」


 聴衆は静かにメモを取り、時折うなずきの波が広がった。


 ――


 火星ラボに再び場面が戻る。藤堂はゆっくりとまとめた。

 「つまり、人類のDNAに“説明不能の断絶”はない。すべて進化史の中で説明できる。ただし、説明の速度が進化の速度に追いついていない領域が残っているだけだ」


 佐伯医官が顎に手を当てる。「進化は過去を積み重ねるからな。理解が追いつかないのは当然かもしれん」


 野間は端末に打ち込みながら、小さくつぶやいた。「……つまり僕らは“謎の遺伝子”を持ってるわけじゃない。ただ、解釈待ちのページをまだ読み終えてないってことか」


 葛城副艦長が頷く。「そして、火星群集にも同じことが言えるかもしれない。彼らにもこの星の進化史に即したコードがあるはずだ。違うのは、そのコードを理解できるかどうか――我々の時間との勝負だ」


 顕微鏡下の群集は沈黙のまま、規則的なパルスを刻んでいた。その動きは、地球の科学者たちが未だ解き明かせていない遺伝子のリズムと、どこかで重なり合っているように思えた。


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