第135章 「北の要衝」
大雪山連峰の裾野に広がる森林と丘陵地帯は、かつて観光客が四季折々の自然を楽しむ穏やかな土地だった。しかしいま、そこは自衛隊にとって北の防衛線の要衝と化していた。旭川市街がすでに陥落し、残る南方への侵攻を食い止める最後の盾。それが大雪山麓の防御陣地である。
自衛隊の防御準備
陸上自衛隊は急造の工兵部隊を投入し、山裾に広大な壕と堡塁を築いた。古い村落や廃校を改修し、コンクリートを流し込んで弾薬庫や指揮所に転用する。納屋の外壁には偽装ネットをかけ、畑の掘り返した土を利用して塹壕と遮蔽物を作った。
「ここはただの廃村にしか見えないだろう」
工兵曹長が笑みを浮かべた。だが内部には、歩兵中隊規模の兵力が息を潜めていた。射撃孔は窓枠や屋根裏に巧妙に隠され、敵の航空偵察からはただの廃墟に映るように仕組まれていた。
大雪山麓の森は濃く深い。自衛隊はその樹木を利用してレーダー反射を抑え、上空のロシア軍偵察機を欺いた。斜面には熱源偽装の発熱装置を配置し、わざと「囮の拠点」を作り出す。ロシア軍の攻撃を引き寄せ、本来の防御線を守る狙いだ。
ロシア軍の浸透
一方、ロシア軍は旭川市街を制圧した勢いを保ちつつも、南進の速度を落とされていた。重装備の機甲部隊を一気に進ませれば地雷と待ち伏せの餌食になると分かっていたため、小部隊による浸透を選んだのである。
午後、濃い針葉樹林の奥を十数名のロシア兵が進んでいた。夜行性を意識して黒い迷彩を着込み、音を立てぬよう一歩一歩を確かめる。落枝を踏まぬよう足を置き、時折ドローンを飛ばして周囲を偵察する。彼らの目標は、旭川南方に展開している自衛隊後方陣地への奇襲だった。
しかし、その動きはすでに察知されていた。
斜面の木陰には小型赤外線センサーが埋め込まれ、微弱な熱源の移動を検知していたのである。センサーからの信号が地下の指揮所に届き、監視員がヘッドセットで報告する。
「南西斜面、敵小隊接近。距離四百メートル」
森林の罠
ロシア兵たちは気づかぬまま、森を抜けて開けた小道に出た。そこはかつての林業用道路で、今は放棄されて雑草に覆われている。だが、雑草の下には無数の地雷とワイヤートラップが仕掛けられていた。
先頭の兵士がわずかな違和感を覚えた瞬間、乾いた爆発が木立を裂いた。土煙と破片が舞い、兵士数名が即死した。慌てて左右に散開しようとするが、その側面には機関銃の火線が待ち構えていた。
「撃て!」
自衛隊の機関銃手が叫び、64式小銃とMINIMIが一斉に火を噴く。弾丸が林道を横切り、倒木を遮蔽物にしようとしたロシア兵を撃ち抜いた。
残存兵は必死に応戦し、RPGを撃ち込む。爆発で土嚢の一角が崩れ、自衛官が一人吹き飛ばされた。だが即座に別の兵士が位置を補い、射線を維持する。森の静寂は完全に砕け散り、銃声と爆音が木霊した。
反撃と余波
自衛隊は無線で後方に支援を要請。数分後、迫撃砲が斜面に火を吹き、林道は炎と煙に包まれた。生き残ったロシア兵たちは退避を試みたが、退路にも小型地雷が敷設されており、次々に倒れていく。
「敵浸透小隊、ほぼ壊滅」
観測員の冷静な声が響いた。だが、戦場に立つ兵士たちは緊張を緩めなかった。敵は小部隊を何度でも送り込んでくる。旭川を奪われた今、この山麓を突破されれば北海道中央部まで道が開けてしまう。
壕の中で、若い二等陸士が呟いた。
「ここで止めなきゃ、札幌まで行かれるんですよね……」
隣の古参兵が黙って頷いた。
旭川の影は重い。しかし、大雪山麓の要衝はまだ揺らいでいない。自衛隊は深い森を味方にし、息を潜めて次の波を待っていた。




