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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン10

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第120章 出国列の影



 関西国際空港の臨時ターミナルは、もはや空港というより野戦の出荷所に近かった。天井の半数は消灯され、迷彩ネットで覆われた検問ゲートの向こうに、ヘルメットの警備員と金属探知機が並ぶ。出国列は蛇のように折れ曲がり、白衣、スーツ、学生服、作業着、喪服までが同じ列に混じって、無言のままじりじりと進んでいた。

 「次、パスポートと派遣許可証」

 卓上ライトに照らされた顔は、眠っていない者の色をしている。係官は紙の角を揃え、青いスタンプを無表情に落とす。その向こう側には、軍民連絡デスクの電光掲示が赤く瞬いていた――《海外臨時研究枠》《国際医療連携枠》《特別留学枠》。いずれも“国家利益に資する”と説明が添えられている。だが列にいる者たちの足取りは、利益よりも後ろめたさの重さで遅くなる。


 研究者の男は、封筒の中の招聘状を指先で確かめた。米西海岸の研究所からのものだ。隣に立つ助手が小声で言う。

 「先生、ほんとに行くんですか」

 「装置が残ってても、電気が止まれば意味がない。向こうへ持っていく。データも、人も」

 聞きながら、助手はうなずけずにいた。背後のスクリーンには、研究棟の停電予定が帯のように流れ続けている。


 白衣の女性は両腕に細い保冷バッグを抱えている。看護師の身分証には《国際医療支援》の赤い帯。前に並ぶ少年が不安げに見上げた。

 「帰ってくるの?」

 女性は答えに迷い、結局うなずいた。

 「必要な薬を連れて、必ず」

 その言葉は、祈りと約束の中間にあった。


 学生たちの一団は、リュックに英単語帳と保証人の同意書を詰めていた。青ざめた顔の青年が、列の途中で振り返る。

 「二年で戻るつもりだよ。戻れたら、だけど」

 友人は笑おうとして失敗した。

 「戻ったら、何をやる?」

 「わからない。戻る場所があるかどうかも」

 二人の沈黙に、遠くの滑走路からタキシング音が滲んできた。


 列は検問の金属枠を抜け、体温計測と危険物検査のブースへ流れ込む。天井のスピーカーが機械的に告げる。

 《出国者は国家安全保障上の報告義務を負います。渡航先での研究・勤務は国内利益に資する形で……》

 聞きながら、港湾の鉄の匂いに似た金属臭が鼻腔に残る。ターミナルの片隅では、軍の広報が「国外で得た物資・技術を国内へ循環させる架け橋」と説明する映像を無音で流している。音がないぶん、画面の笑顔は残酷だった。


 やがて列の速度が急に増す。スタンプが連打され、バケットに落ちる硬貨のように“許可”が積み上がる。誰も拍手はしない。拍手は残る者を傷つける。

 最後の柵の前で、作業着の男が立ち止まった。胸の名札には造船所の社名。彼は振り返り、背後の列の顔をゆっくり見回す。研究者、看護師、学生、スーツ、喪服――どの顔にも、同じ影が差していた。

 「人まで、輸出するのか」

 誰にともなく漏らした言葉は、すぐ足音に砕かれて消えた。


 ボーディングブリッジの手前、ガラス越しの夜の湾が黒い。遠くに浮かぶ赤い点滅灯が、散り散りの心拍のように明滅する。少年がガラスに額を当て、白衣の女性は保冷バッグを握り直す。研究者は封筒の角で指を切り、学生はスマホの電源を落とした。作業着の男は拳をほどき、空の掌を見つめる。そこには何もない――いや、故郷の欠片が、まだ熱を残して乗っていた。


 搭乗開始のアナウンスが短く鳴る。列がほどけ、個々の人生がゲートの向こうへ分解されていく。日本語と英語の声が重なり、タイヤの軋みが床を震わせる。

 最後尾にいた老女が、柵のこちら側に残る家族へ手を振った。

 「行きなさい。生きなさい」

 若い家族は泣きも笑いもせず、ただ深く頭を下げた。


 ゲートが閉まる瞬間、ターミナルの空気がわずかに軽くなり、同時に何かが抜け落ちるように感じられた。人が去るたび、建物の骨が軋む――そんな想像が胸をよぎる。

 残った者たちは列を作り直し、案内板を見上げる。次の便、次の枠、次の許可。

 国家は息をするために、肺の一部を外へ送り出している。戻る風の約束はない。それでも今夜も、出国列は途切れない

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