第93章 米軍との取引
東京都多摩地域。横田基地の滑走路に、また一機のC-17グローブマスターが降り立った。貨物室には熊本から運ばれてきたシリコンウェハ、名古屋で積み込まれた自動車部品、関西の化学工場から送られた医薬中間体がぎっしり詰められている。
米軍の兵站将校が受領書にサインし、横で自衛隊の補給幹部が確認印を押す。そこには「日本政府→米国防総省→米財務省保証」という異様なルートが明記されていた。
かつて輸出とは、企業が海外に売り、ドルを受け取り、それを円に替えて利益を得るものだった。いまは違う。すべてが「対米レンドリース型」。つまり日本は米軍に物資を優先供給し、その代金は米国政府がドル建てで保証。日本政府が一度受け取り、円換算して企業に支払う仕組みだ。
「商売じゃない。供出だ」
輸送を見届けた自衛官が、溜息混じりに呟いた。米軍将校はそれに気づいた様子もなく、淡々と次の輸送便の準備に移っていた。
――同じ時刻、大阪。かつての大蔵省出先機関だった大阪財務局が、今は「臨時中央デスク」として機能していた。東京壊滅後、財務省はここに集約され、薄暗いビルの会議室で幾人もの官僚が電卓と通信端末に向かっていた。
「ドル建て保証額、今月は二百億。円換算で三兆円超えるぞ」
若い主計官が計算結果を報告すると、年配の局長が顔を歪めた。
「これはもう貿易ではなく軍事供給だ。企業は売り上げを計上しているが、実態は政府が米軍に物資を納めて、代金を横流ししているに過ぎん」
壁の地図には「米軍優先ルート」と赤線が引かれていた。熊本→横田、名古屋→厚木、関西→岩国。どのルートも米軍基地で終わり、その先の顧客は存在しない。
「これで企業は延命できる。しかし、国内の市民に物資は回らない」
ある官僚が書類を閉じ、机を拳で叩いた。
「医薬品の原料が輸出され、国内の病院が欠乏している。これでは本末転倒だ」
隣の同僚が苦い笑みを浮かべる。
「だが米軍に供給しなければ同盟が揺らぐ。米国は日本の半導体と化学品に依存している。こちらも守ってもらう以上、逆らえない」
会議室の片隅で、若手官僚が声を潜めて言った。
「これって戦時レンドリースですよね。太平洋戦争の時、アメリカが英国やソ連にやったことを、今は我々が受けている……」
静まり返った室内に、その言葉だけが残った。誰も否定しなかった。
その夜、横田基地では再び輸送作業が続いていた。フォークリフトがケースを運び、米兵が封印番号を読み上げる。横で日本の技術者が控え、書類に黙々とサインする。彼らは自分の製品が誰のために使われるかを理解していた。戦闘機の制御基板、弾道ミサイルの誘導回路、戦場で血を流す兵士の生命維持装置。そのすべてが、この貨物に含まれている。
大阪の財務局では、徹夜の明かりの下、計算機の叩く音が鳴り続けていた。ある主計官が書類を積み上げながら、ぽつりと呟いた。
「金の流れは変わった。もはや市場経済ではない。戦争の配給だ」
輸出は消えたのではない。形を変え、軍需供給として生き延びている。
だがその仕組みの中で、市民生活に回る余地は限りなく狭められていた。
横田に降りる輸送機の轟音と、大阪で鳴り続ける電卓の音。その二つの音が、同じ一つの現実を物語っていた。――日本の輸出は、すでに戦争の道具に変わっていたのだ。




