第88章 国家慰霊殿
京都・鴨川の河畔に、まだ新しい石造りの巨大な建物がそびえていた。正面には「国家慰霊殿」とだけ刻まれた銘板。神社でも寺院でもない、無機質な言葉だった。だがこの建物こそ、東京壊滅後に政府が最優先で建設した象徴的施設だった。
入口には柱も鳥居もない。厚いガラスと金属フレームが組み合わされ、まるで研究施設のように冷たい印象を与える。しかし足を踏み入れると、そこには広大な空間が広がり、静謐な光に包まれていた。壁面には巨大なスクリーンが設置され、死者の名前が次々に映し出されていく。
「検索をどうぞ」
案内役の職員がタブレットを差し出す。遺族はそこに家族の名前を打ち込み、指先で確定を押す。すると壁の一角が淡い光を帯び、該当者のプロフィールが現れる。
写真、出身地、所属部隊、最後に確認された座標。そして暫定の箱に添付されたDNAチップの番号。すべてが時系列で整理されていた。
ある母親が画面に手を伸ばす。そこに映るのは、戦死した息子の笑顔だった。システムが自動的に生成した音声で、彼の名前が読み上げられる。母親は涙を流しながらも、何度も「もう一度」と操作し、その声を繰り返し聞いた。
ここには仏壇も神棚もない。香も線香もない。代わりに、静かに響くのは各宗教を代表する読経や祈祷の録音が、多言語でランダムに流されるシステムだった。無宗教の遺族のためには、ただ沈黙だけが用意されている。
この施設の設計に携わった建築家はこう語った。
「宗教的な色を一切排除し、しかし誰もが祈れる場にしたかった。祈りの形は無限にある。だが、死者を“記録でたどれる”場は一つでいい」
ホールの中央には「未来記録台」と呼ばれる円形の端末群が置かれていた。遺族がここに立つと、手元のスクリーンにDNA情報や未照合のサンプル状況まで表示される。未来の科学が進めば、この記録から未解明の死者の身元が再び明らかになるかもしれない。
自衛隊の制服を着た青年が、祖母を伴ってその前に立った。スクリーンに映し出されたのは、祖母の夫、つまり彼の祖父の名前だった。太平洋戦争で失われたとされ、いまようやくDNAで照合され、記録に戻された存在。祖母は震える声で名前を読み上げ、涙を拭った。
国家慰霊殿は、靖国のように「英霊」として祀り上げる場所ではなかった。ここでは死者は「記録」として扱われ、国籍も敵味方も問わずに登録されていた。画面には日本兵の隣に、中国兵や米兵の名前が並ぶこともあった。ICRCの要請で国際的な記録共有が組み込まれていたのだ。
「敵兵も、同じ死者としてここに眠るのか」
青年が驚きの声を漏らすと、職員は頷いた。
「はい。戦争は国境を越えて死者を生みます。国家慰霊殿は、その境界を越えて記録する場所です」
外に出ると、夕暮れの空に鴨川の水面が淡く光っていた。青年は祖母の手を取りながら、ふと考えた。
――ここでは、死者を祀るのではなく、未来へ残すのだ。
国家慰霊殿は、戦後日本が初めて手にした「死者の記録装置」だった。祈りを超えて、名を永遠に残すための仕組み。それは東京壊滅という悲劇から生まれた、まぎれもなく新しい国家の形だった




